よく言って一般的な、いやあまりよくない方であろうわたしの「記憶する」という能力では、
この旅の記憶もたとえ覚えていたいと願っていても
端から次々とどこかへいってしまう。
ともすれば、いまほどまでに見ていた時計の時間すら
あいまいで、いまは今日は何日で何曜日なのかも
わからない。
まだ日常の中にいて、「約束」(仕事とか誰かに会うとか)があれば、そこにとどまることができるのだけれども、旅に出てしまうと飛行機とかに乗らないかぎり、カレンダーは意味をなさなくなる。
けれども、身体の隅々に沁み込んだ印象は、
こぼれ落ちた記憶とは裏腹に、
日常に帰ったとき、ふと顔を覗かせる。
朝、歯磨き粉を歯ブラシに出しているときに。
昼、午睡から目覚めまどろんでいるときに。
夜、手触りのよいシーツにくるまったときに。
リマのホテルで聞いた外の喧騒の音や、
熱帯雨林の中のレストランの隣の席の立てるナイフとフォークの音や、
氷点下の砂漠のシャワーの顔に触れた水の冷たさと降るような星空や、
早朝出発のために作ってもらったランチボックスのサンドウィッチの乾いたパンの口当たりと屋台で飲むような毒々しいオレンジジュースの甘ったるさや、
そういう旅先の「日常」の印象は、
いつの日かわたしがこの世から消えるまで
わたしの日々に音を落とし続けるのだろう。
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