旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると私はいつも本当の私となった
– 田山花袋
旅に出て、何が好きかと言えば、
そこに住まう人と話をすること。
朝早く、宿近くの浜辺や、街などを
あてもなく散歩する。
同じように早起きの、
わたしが旅をしている間だけの、ご近所さん。
お財布も持たず、携帯とルームキーだけ持って歩いているだけなのだが、
「おいでおいで」と手招きされ、ついて行くと、珈琲や小さな軽食をご馳走になる。
たまにお財布を持っているときは、朝市や小さなスーパーなんかに入ってみる。
帰りには、買ったもの以上にお土産を持たされている。
なぜそんなことをしてくれるの?と聞くと、
もっとここを好きになって欲しいから、と。
あなたのことを聞かせて欲しいから、と。
行ったことのない日本の話を聞かせて欲しいから、と。
そうしてもてなされたことは、一度や二度ではない。
きっと彼らは、自分の国に誇りを持っているのだ。
未だ見ぬ他国へも敬意を払ってくれているのだ。
宗教やお国柄によっては写真を撮ることを控える必要がある場合もあるけれど、撮っても問題ないか?と聞くと、大抵彼らは、大きな笑顔を向けてくれる。
旅に出ると、わたしの日常はどれだけ複雑になっているのだろう?と思う。
絶え間なく流れるゴシップに、作り笑いの人間関係に、
とある一面だけを切り取った噂話に。
旅に出ると、そのわたしに纏わりついていたものが
本当はわたしに何の意味も持たないことを気づかされる。
人も時間も生きているのだ。
ガイドブックやテレビから見えるその国の風景など、一方的に切り取られたものだとわかる。
わたしの目で見る。
なんてシンプルなんだろう。
わたしが物事をどう見ていたのかも、問われることになる。ひいてはわたしがとんな人間なのかもくっきりしてしまう。
荷物ひとつパッキングするときにも、
日頃どれだけ不要なものを持ち歩いているのか、
わたしにとって必要な荷物もハッキリとする。
念のため、などと入れたものは大抵使わない。
そのうち読もうと思っていた本も何冊か入れていくのに、
結局は読まずじまいで帰ってくる。
“そのうち読もう”は、どうしても読みたいものではなかったからかもしれない。
反対に、少しでも荷物を減らそうと入れなかった必需品ではないものが、
なんで持ってこなかったの!
となったりする。
旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると私はいつも本当の私となった
– 田山花袋
旅を好んでいた作家のいうことは、
しごくまったく、だ。
だから、旅はやめられない。
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