Eat to live, not live to eat. 父の言葉と「ひとつは時代は何時も異端者といわれる者によって切り開かれ、やがては、当たり前の事として「流れ」ができる。ふたつめは、当たり前と思われていることに、疑問符を持ってください。特に、自分が正しいと信じていること、大嫌いと思っている事や人物。対極は「真理」への第一歩です。」命と言うものは、必ず誰にでも終わりがある。等しく、それは訪れる。どんなに生きて欲しいと望もうとも、必ず死というものは、迎えにくるものらしい。昨秋に末期の肺癌と診断されて、自宅で療養することを決めた父のため、実家に戻ったのも束の間、冬のはじめに、あっという間に父は旅立ってしまった。父は、世の中に、『ロハス』や『オーガニック』などという言葉が広がる前、まだまだ世間の認知も理...28Mar2025つれづれ日々の音
かつて、鳥籠の鳥だったわたしへ訳あって、実家に戻ることになった。家を出たときに、二度と戻ることは無いと思っていた。厳格すぎる父とストレートな言葉使いしかしない母と、いじめを発端に自殺未遂を繰り返し、わたしを毛嫌いするようになった妹のいる家に、居場所を見つけられなかった私は、若い頃早々に家を出てからというもの、ほぼ実家には寄りつかずにいた。わたしは、人には「公で語ることのない感情や、言葉があること」をとても大切だと思っている。表に出ている「わたし」以外にもたくさんの「私」を持っていて、こうして書けば少しの間は残るし、誰かの心のかけらになることもある。でもそうならないだろう、公にしない私のことをわたしは、どこにも残らなくとも、わたし自身すら忘れてしまったとしても、残...02Dec2024つれづれ日々の音
わたしはこの手にあるリンゴをどうするのか少し前に、映画『関心領域 The Zone of Interest』をみた。人は、自分自身の関心を持つ範囲の中で生きている。関心のないことは、たとえ目の前に置かれていたとしても気がつかないものである。映画『関心領域 The Zone of Interest』は、「Zone of Interest」というエリアに住みながらも、同じエリアの中で起こっていることに、無関心にいる人の話だ。無関心にいる、と書いたけれども、気がつかないふりをしているのかもしれないし、気がついていないふりをしていることすら、隠しているのかもしれない。07Sep2024つれづれ日々の音
たゆたえども沈まずFluctuat nec mergiturたゆたえども沈まず昨年は、私の人生の中で最も困難な年の一つでした。全てのものが絶妙なバランスで存在しているのだと思い知る日々。生と死。痛みと喜び。塩と砂糖。私とあなた。ずいぶんとひどく傷ついていることにも気がつかず、ようやくバランスを取り戻すのに必死になった頃にはすっかり秋の気配がしていて、それでもよく生きた年だった。2024年も、もう春だ。毎年作っているビジョンボードは、何だかこれまでとは様子が違う。どうやらわたしは脆さは正しい選択だと学んだらしい。柔らかいままでいることがとても難しい世界では、冷たくなるのはとても簡単だから。11Mar2024つれづれ日々の音
「やっぱり」の正体常々思うことがあるのだが、人は「答え」があると安心する生き物なんだと思う。〇〇診断だとか、血液型だとか、誕生日だとか、そう言うもので、「〇〇だから、△△して、□□なんだ」と当てはめて、当面のあいだ、先付けであれ後付けであれ、理由をつけて安心したり納得したりするのである。むしろ「答え」というより、「理由があると言うこと」に安心しているのかもしれない。29Feb2024つれづれ日々の音
ファンキーでグルーヴィーな気分でヨルダンのホテルにて遊牧民族に憧れがある。(小学校の国語の教科書に載っていた『スーホーの白い馬』が大好きだ)本を読みはじめると没頭しすぎてしまうので、途中で降りなきゃいけない電車に乗る時は短編集とかエッセイにしている。『旅ドロップ』江國香織著この中の「平安時代の旅」という文章の、平安時代の人々の旅の仕方に触れられているところ。___いい景色を眺める、ということへの彼らの憧憬と情熱と偏愛ぶりは、ただごとではない。(中略)日常生活のなかでも、何より景色に心をふるわせ、桜が散ってしまっただけで大泣きしたりする。刹那的な人々なのだ、シュールなまでに“いま”を生きている。(中略)おもしろいのは、家や土地やお墓には執着を持たなかった...10Sep2023つれづれ日々の音
すべて何十億分の一の水玉なのです。多様性についてずいぶんと言葉としては浸透してきた“多様性”ですが、実際にはどれくらいの人々の中に、日常の中に、溶け込んでいるのでしょうか。もしかすると、多様性(diversity)あるいは包摂(inclusion)が、都合よく「何でも良し、何でもアリ」という風潮に使われて、辟易している方もいるかもしれません。“多様性”を謳う人が、自分の価値観以外をなかなか受け入れられずにいる場面にも時折、出会います。「皆が良いと言っているから」「すごい人が良いと言っているから」と流されていると本質を見抜けずに翻弄されて、自分の心が見えなくなります。そして、多様なようでいて、実はAかBか、正か悪か、の選択肢しかないような情報たちに、本質を見抜くことが...30Aug2023つれづれ日々の音
愛しき手と別れと『西の魔女が死んだ』という小説がある。読んでいないので、詳しいところはわからない。けれども、きっと祖母のことだろうとなんとなく見てとれる。共働きの父母に代わり、私は祖母に育てられた。確かに祖母は、魔女のようで。どうやっても見つからない探し物も、祖母が探すとあっという間に見つけてしまうし、その手から魔法のように、なんでも作ってくれた。祖母の作るもので特に好きだったのは、素朴なパンで。小麦粉とイーストに艶出しの卵液がうっすらと塗られただけのラグビーボールみたいな形をした、薪とダッチオーブンで焼いた素朴なパン。実家を出てからも祖母のパンを食べたくて、帰ることもあったくらいに好きだった。02Jun2023つれづれ日々の音
自己満足と正義と矜持のはざまに正しさとは一体何であろうか。人は人に勝手に期待して、勝手に失望する。世間には常に「世界が自分たちに都合のいいものであってほしい」という大衆の欲望が渦巻いている。誰しもが自分の正義を持っていて、この世で暮らしているように見え。朝の混雑する電車から、人を押しのけてもわれ先にと降りようとしたり(お急ぎなのね…)、団子のように固まって出入口をふさいでいる子どもたち(一瞬たりとも友達と離れたくないのかしらん…)。もはや、あの頑なさは正義だ。そんなこんなで、子どもですら「自分の正義」で生きている。23Apr2023つれづれ日々の音
引き継がれる価値だけ残されていく変わること、変わらないこと。気がつけば、立春も過ぎ新しい年も二月を迎えた。少し前まで、普段は行かれない長旅に出ていたのだけれど、ここ数年は実家で年越しをしている。田舎の年越しの準備をして、父とたわいもない会話をし、母と三度の食事の用意をするのも、ようやくこの歳になって好ましく思う。「変わること、変わらないこと」は、実家の炬燵の上に置いてあった冊子の1月のテーマで、父が寄稿した文章も載っていた。元編集者の父の書く文章は、子どもの頃から見慣れたものだけれど、彼がどう考え、どう生きているのか、を多少伺い知ることができる。(ついでに言うと父の字も書いたものも、好きだ)05Feb2023つれづれ日々の音
クリスマスは、立ち止まり、自分の周りにある大切なものについてじっくり考える機会をくれる。Christmas gives us the opportunity to pause and reflect on the important things around us – a time when we can look back on the year that has passed and prepare for the year ahead.-David Cameronクリスマスは、立ち止まり、自分の周りにある大切なものについてじっくり考える機会をくれる。それは、過ぎ去った1年を振り返り、翌年の備えをするための時。−デーヴィッド・キャメロン25Dec2022つれづれ日々の音