引き継がれる価値だけ残されていく


変わること、変わらないこと。


気がつけば、立春も過ぎ新しい年も二月を迎えた。

少し前まで、普段は行かれない長旅に出ていたのだけれど、

ここ数年は実家で年越しをしている。


田舎の年越しの準備をして、父とたわいもない会話をし、

母と三度の食事の用意をするのも、ようやくこの歳になって好ましく思う。


「変わること、変わらないこと」は、
実家の炬燵の上に置いてあった冊子の1月のテーマで、

父が寄稿した文章も載っていた。


元編集者の父の書く文章は、子どもの頃から見慣れたものだけれど、

彼がどう考え、どう生きているのか、を多少伺い知ることができる。
(ついでに言うと父の字も書いたものも、好きだ)


書くもの以外にも、色々な場面で彼とはよく話す。

わたしが本質的な会話を好むのもその影響は多分に、ある。


彼の娘をはじめてから40年をゆうに越えて、時代は刻々と変わってきた。
とは言え、時を経ても変わらないことは、「生きること」で。

生きるとはなんぞや、
という会話をいまも変わらずしている。

このコラムを始めたとき、
わたしは誰のためでもなく、純粋に自分のために書きはじめた。


読まれるためではなく、自分に聞かせるように。

 
誰かに必要とされて満たされるような安心感も、確かにある。
けれども誰にも必要とされてなくても、
わたしがそうあることを純粋に必要としている。

それをすることが、まさに自分自身であると感じられるようなことを。

生きづらさを感じている時は、たいてい、
自分を置き去りにしている時だ。

人のためと大義名分が先行し、自分の心は見えていなかった。

何かの誰かのため、とせざるを得ない環境があったのだとは思うけれど、

「純粋に自分のため」が必要だったのだと思う。


“人のためは自分のため”と「言い聞かせて」きたことを認めるのは

少し怖いことかもしれないが、

言い聞かせてることほど、誰のためにもならない。
 
わたしは自分のために生きる。

結果、わたしの言葉はわたし自身に響き、
誰かに共鳴していたらいい。

「こちらの伝えたいことが100%正しく伝わるようにしなければならない」
とは、わたしは思わないのだ。

伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。
そもそも“本当に伝えたいこと”は、
あからさまにしていないかもしれないのに。

人は違う。個のやり方、個の環境がある。
父は父で、彼の生き方をして、彼のやり方で生きている。

わたしもそうだ。


けれども、感じることができる。
みんなで同じ舞台、同じ世界に立っているのだと。
全員で同じ物語にそれぞれが物語を持って参加してるんだってことが。




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せっかくなので、父の文章の一部を転記しておこうと思う。

『変化あらざる....とは?』


地球上のあらゆる「事」「物」「事象」……全てが「変化」を余儀なくされる。
「変化」しなければ、存在すら脅かされるという。
70年余生きてこれば、やはり、その実感は認めざるをえないとも思う。


「眼」には見えねども、生物の「ゲノム」さえ変化を経験しているらしい。
地球上のあらゆる「生命体」(ウイルス〜アメーバ〜植物~動物)の

ただひとつの共通する価値感は「生存至上主義」ということである。


昔、人類の始祖は障石が地球にぶつかり、マグマの大噴火により、太陽の光が届かず、寒冷化する中、それに耐えられた生命体に自来するという。
多くの生命体は、「食して」「排泄して」「眠る」ことが、生きることの本質である。

人類とて同一である。


今を生きる人類は、恐ろしいほどの「欲望」を満たすため、自らの生存すら危うくすることさえ構わない。
何万年先か(それまで地球が人類の存在を許すか?)に「胃袋」を最小化した人類が生き残っているのだろうか?
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日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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