子供のころ、
実家の庭には、柿の木があって、
そのたもとには
祖父の鯉を遊ばせる池があった。
柿を取るのは、主に祖母の役目で、
わたしは祖母が投げてよこす
艶々とした柿を落とさないように受け取る。
祖母と柿とわたしが
池に落ちやしないかと、
はらはらしながら。
実家は、夏の海水浴客と冬の温泉客のまばらな、
何かと不便で、何かと煩わしく、
わたしは、早くここから離れたかった。
大人になってそこを出てからというもの、
電車で小一時間のたいして遠くもない実家に、滅多に帰らないのだが、ここのところ所用が重なり、続けて帰っている。
父も母も、よい人で、厳しく温かい人で、
常に人が集まる家だった。
世界を回るアフリカンのミュージシャン、バイセクシュアルのフランスの社長さん、父のところへ研修を受けにきた大学生、タスマニアに住む日本人。
夜な夜な、よくわからない、議論と、笑いと、興奮と。
誰かが熱っぽく話している傍で、
突然、誰かが太鼓を叩き歌いはじめ、それにつられてみんなが歌い、踊り、語りはじめる。
そこに子どものわたしも、ぽつんと置かれる。
流行りのゲームも、おこづかいも、赤いタコさんウィンナーも、サンタさんの贈り物も、子どもにとっては当たり前のものは、何一つもらえなかったけど。
わたしの感覚が色んなことにボーダーレスになったのは、この混沌と情熱と泰然の同居する大人たちのなかで、過ごしていたからかもしれない。
そんなことをふと思う。
子どものわたしが両親からもらった、
大きなギフトだったのだと思う。
一度帰ると、ひとつなにかを思い出す。
何かと不便で煩わしい町で、
年老いていく父と母。
もう柿の木には登れなくなった祖母。
子どものわたしには分からなかった、
父と母なりの、愛情がたぶんあったのだ。
はたして満たすとはどういうことだ
たしかにそこにあった
「大切」なものを
いま、思い出してみるのもいいかもしれない。
その時にはわからなかった、
確かなものが、いまのわたしを抱きしめる。
過去は、いまのわたしが書き換えることができる。
そして未来はいつだって、いまはじまっている。
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2018.06.09 21:19
2018.06.09 18:06