『西の魔女が死んだ』という小説がある。
読んでいないので、詳しいところはわからない。
けれども、きっと祖母のことだろうと
なんとなく見てとれる。
共働きの父母に代わり、私は祖母に育てられた。確かに祖母は、魔女のようで。
どうやっても見つからない探し物も、祖母が探すとあっという間に見つけてしまうし、
その手から魔法のように、なんでも作ってくれた。
祖母の作るもので特に好きだったのは、素朴なパンで。小麦粉とイーストに艶出しの卵液がうっすらと塗られただけのラグビーボールみたいな形をした、
薪とダッチオーブンで焼いた素朴なパン。
実家を出てからも祖母のパンを食べたくて、帰ることもあったくらいに好きだった。
お正月には元気だった祖母は年も明け2月の寒さが深くなった頃、もう100歳まであと少しというところで、寝たきりになり、わたしのことも分からなくなり、何をするにも介助が必要になった。
なんでもそうだけれど、その立場になってみないと
本当のところはよく分からないものだ。
そして、一括りにもできない。
その家庭、状況、思い。
介護する側もされる側も、
何かのサポートがなければ、本当に大変だと思う。
幸いにも父には、母もいて、訪問ケアの医師や看護師さんもいて、それでも家が大好きだった祖母のために、父は自分が最後までみると決めたようだった。
施設へ預けた方が父母にも祖母にもよいのではないか?どこにもぶつけようのない気持ちを溜めていく両親を見ていると何度もそう思い、帰れる時は実家に帰るようにしていたものの、結局何ができたわけでもない。
あっという間に小さく細くなった手足は、
多少の覚悟をくれたものの、それでも死はどうしたって突然で。
こんな時の覚悟なんて、何の役にも立たない。
電車が突然揺れた時に、
信号待ちをして歩き始めた時に、
雨の降りはじめた空を見上げた時に、
途方もなくぽっかりと空いた穴に落ちたような気になる。
ぽっかりと空いた穴は、とうぶん、
いえ、永遠に埋まることはないのだろう。
とは言え、わたしにも日々はやってくる。
時に流されて過ごすことは誰にでもできることかも
しれません。
けれども人生は一度きり。
同じ期間が用意されているのだとすれば、
不用意に過ごすよりも、自身の選択で日々を生きたい。
通夜の際に、祖母をよく知る禅宗の方丈さまが、
祖母に送ってくれた言葉があります。
『日々ただ目の前のことを一心につとめて生きていらっしゃった。辛いことですら楽しまれていた。
その生き方に我々は学ばせていただきました。』
これからも思い続ける。
ラグビーボールみたいなパンも、ドーナツも、
苺のショートケーキもチョコチップクッキーも、
大判焼きも白玉だんごも、夏みかんのゼリーも、
アイスクリームも。
父の方針で市販のおやつが禁止だったので、
祖母はわたしのために色々作ってくれた。
なんでも作ってくれた魔法の祖母の手と、
しわくちゃの笑顔を。
そして、祖母の生き方を。
今度実家に帰ったら、
魔女のレシピを探してこよう。
わたしも生きようと思う。
日々を是好日と生きた祖母のように。
さて。
不思議だけど、こういう話はよく聞きます。
雉鳩は警戒心が強くめったに人前に姿を見せず、
よく響く鳴き声ばかりを聞かせる鳥。
祖母が昏睡状態になった日の明け方、
雉鳩が庭の柿の木の上でけたたましく鳴き、
息を引き取った時にも、またどこからともなくやってきて、鳴いたそうだ。
まるで、さあ行くよと言わんばかりに。
本葬を終えて家に戻った時は、
しばらく静かに柿の木の上に留まっていた。
祖母の願いを聞き、40年も前に逝ってしまった祖父が迎えに来たんだろう。
クークグッググー、さあ行こうと。
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