多様性について
ずいぶんと言葉としては浸透してきた“多様性”ですが、実際にはどれくらいの人々の中に、
日常の中に、溶け込んでいるのでしょうか。
辟易している方もいるかもしれません。
時折、出会います。
自分の心が見えなくなります。
その物事や情報をあらゆる角度から多面的に捉えて柔軟に見ることが
必要ではないでしょうか。
さて、“多様性”。
これは多様性からは、かけ離れている状態。
次に、12色の絵の具を同じ分量でパレットに並べたような、様々な色を列挙した世界。
例えば、白人と東洋人と黒人とヒスパニックの人々が同じ数いるようなイメージ。
ズームアウトして俯瞰すると、「グレー」一色に見えてしまう。
つまり完全にフェアな世界というのは、
究極的には「多様ではない」とも言えるのでは?
それは「均一」になってしまう。そして、均一は一見「優しく」「フェア」に見えるけど、
それは静止した安全地帯のようなものだ。
多様性とは、もっとかたよっているのでは?
多様な世界は、「自分が気に食わないもの」もいっぱいある。
でも、その「自分から見て不謹慎なもの」が、
「他人からみて大事なものかもしれない」。
多様な社会はそれなりに不愉快です。
つまり、「多様性」は前提として「寛容」でなければ成立しないのかもしれない。
人種や性別などではない、多様な知識や能力のコミュニティ。
様々なものが存在します。
喧嘩や調整ごとも発生するかもしれない。
上辺だけで分かりあったフリをする必要も、わかってあげなきゃ、のような
けれども「分かりやすい」というのは、時に注意が必要で、考える必要がない。
あっという間に分かった気になる。
むしろ健全なのではなかろうか。
正直、めんどくさい、と思うこともある。
不用意な悪意や暴言なんぞは、そもそも多様性とかの話ではない)
わたしたちに、新しい世界を見せてくれるものだ。
In this universe, the moon,the sun,each and every star,my own life, your life, they are all a single polka dot among billions.
Yayoi Kusama
この宇宙では、月も太陽も、一つひとつの星も、私自身の命も、あなたの命も、すべて何十億分の一の水玉なのです。草間彌生
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