すべて何十億分の一の水玉なのです。


多様性について


ずいぶんと言葉としては浸透してきた“多様性”ですが、実際にはどれくらいの人々の中に、

日常の中に、溶け込んでいるのでしょうか。



もしかすると、多様性(diversity)あるいは包摂(inclusion)が、
都合よく「何でも良し、何でもアリ」という風潮に使われて、

辟易している方もいるかもしれません。



“多様性”を謳う人が、自分の価値観以外をなかなか受け入れられずにいる場面にも

時折、出会います。



「皆が良いと言っているから」「すごい人が良いと言っているから」
と流されていると本質を見抜けずに翻弄されて、

自分の心が見えなくなります。



そして、多様なようでいて、実はAかBか、正か悪か、の選択肢しかないような情報たちに、
本質を見抜くことがどんどん難しくなっているように感じます。


無論、判断や選択は必要で、自分のスタンスを取るということは大切です。


ですが、本質を見抜くためには、「善」「悪」と極端な判断をするのではなく、

その物事や情報をあらゆる角度から多面的に捉えて柔軟に見ることが

必要ではないでしょうか。



さて、“多様性”。



例えば、ひとつの色しかない状態。
ひとつの意見や考え方しかない世界、選択肢のない世界です。

これは多様性からは、かけ離れている状態。



次に、12色の絵の具を同じ分量でパレットに並べたような、様々な色を列挙した世界。

例えば、白人と東洋人と黒人とヒスパニックの人々が同じ数いるようなイメージ。

近づいて見ると多様っぽく見えていたものが、

ズームアウトして俯瞰すると、「グレー」一色に見えてしまう。



つまり完全にフェアな世界というのは、
究極的には「多様ではない」とも言えるのでは?



全ての会社で男女の比率が一緒とか、全ての映画に全人種が登場するとか、

それは「均一」になってしまう。そして、均一は一見「優しく」「フェア」に見えるけど、

それは静止した安全地帯のようなものだ。



多様性とは、もっとかたよっているのでは?



多様な世界は、「自分が気に食わないもの」もいっぱいある。

でも、その「自分から見て不謹慎なもの」が、

「他人からみて大事なものかもしれない」。



多様な社会はそれなりに不愉快です。

けれどそれを受け入れなければ、多様な社会は成立しません。

つまり、「多様性」は前提として「寛容」でなければ成立しないのかもしれない。



地域や会社や趣味、嗜好のグループ、コミュニティ、
性別や国籍、人種、年齢といった目に見える属性のコミュニティ、

人種や性別などではない、多様な知識や能力のコミュニティ。

様々なものが存在します。



“自分にとっての”不謹慎な発言、都合の良くない意見もあるだろうし、

喧嘩や調整ごとも発生するかもしれない。



でも、それを認め合う覚悟がなければ多様性は実現できません。


世の中にいったい何人の人が生きているのでしょう。
違う人間なのだから、違う。
経験のない気持ちは簡単には理解できないし、
理解することなど永遠に来ないのではないか?と
思うこともある。


人間は共感を求める。

上辺だけで分かりあったフリをする必要も、わかってあげなきゃ、のような

よく分からない正義感も必要ないと思うけれど。


共感できるものや態度は分かりやすいし、安心するのだろう。

けれども「分かりやすい」というのは、時に注意が必要で、考える必要がない。

あっという間に分かった気になる。



「繋がっている」「属している」というのも安心できるのだろう。帰属意識(自分が特定の集団に属しているという意識)と言うようなものだろうか。


帰属意識は集団の団結力を高めることができるけれど、その一方で、少しでもはみ出したものに、容赦なかったりする。


自分自身、自分の考えが存在しないゆえに、
自分の属する集団を自身のアイデンティティのように捉え、過剰な理想や愛情を抱きがちだ。


相応しくないだの、間違っているだの、正誤のジャッジをくだし、感情の多様性すらも、均一化されてしまう。



であるならば、意見の違い、喧嘩や議論が起こるというのは、

むしろ健全なのではなかろうか。



時間が無為に過ぎていくように感じることもあるかもしれない。

正直、めんどくさい、と思うこともある。

それでも、見えていなかったものが見えてくるかもしれない。


(どう頑張っても、受け入れられないは、ある。し、

不用意な悪意や暴言なんぞは、そもそも多様性とかの話ではない)



そもそも、わかった気になっている、
長く付き合いのある自分のことですら、
知らない、気がついていないことだらけだ。


理解できないことは必ずしも正しくないのではなく、
単に私たちの視野に入っていないだけなのかもしれないと知る。


多様性とは、多様な視点とは、

わたしたちに、新しい世界を見せてくれるものだ。



『多様性、視点の違い』が一人歩きして、
“不用意な正義による平等”に取って代わられないような世界があることを願って。


In this universe, the moon,the sun,each and every star,my own life, your life, they are all a single polka dot among billions.
Yayoi Kusama
この宇宙では、月も太陽も、一つひとつの星も、私自身の命も、あなたの命も、すべて何十億分の一の水玉なのです。

草間彌生

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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