訳あって、実家に戻ることになった。
家を出たときに、二度と戻ることは無いと思っていた。
厳格すぎる父とストレートな言葉使いしかしない母と、
いじめを発端に自殺未遂を繰り返し、わたしを毛嫌いするようになった妹のいる家に、
居場所を見つけられなかった私は、若い頃早々に家を出てからというもの、
ほぼ実家には寄りつかずにいた。
わたしは、人には「公で語ることのない感情や、言葉があること」を
とても大切だと思っている。
表に出ている「わたし」以外にもたくさんの「私」を持っていて、
こうして書けば少しの間は残るし、
誰かの心のかけらになることもある。
でもそうならないだろう、公にしない私のことをわたしは、
どこにも残らなくとも、わたし自身すら忘れてしまったとしても、
残っていかない分だけとても大切に思っている。
子供の頃のわたしは、色んな大人たちの都合やら事情やら感情やらに閉じ込められて、
鳴けない鳥のようだったと思う。
何ひとつ自分の力で手に入れられない。
望んでも望んでも、行動や感情を取り上げられ続けると、
自分というものの存在がいつだって不確かで、
感情を出すことを諦めるようになってしまう。
それでも小さな鳥籠の中で、わたしが守っていたものは、
わたしだけの「公で語ることのない感情や言葉」そのものだったのだと、
いま思う。
誰かに何かを思うことや、たまにどうしようもなく泣いてしまうことや、
とても嬉しくなったり、心がきらきらとするような時間を、
私だけのものとして、私だけの言葉で詩にすることで、
私はわたしという存在に繋ぎ止めていた。
そんなことをあらためて考えるようになったのは、
何年か前にある詩人の言葉を読んだからだ。
“他人の言葉や、世の中で当たり前に使われている言葉を、深く考えずに借りてきてしまうこと、それによって、自分だけの感情が切り捨てられていくことが、すごく寂しくて、虚しいです。私が言葉を書くのは、きっとそういう言葉の暴力的な部分から逃れるためであると思います。”
-最果タヒ-
わたしたちは、日々「理解されるための言葉」を知らず知らずのうちに選び、使っている。
「伝える技術」や「分かりやすい言葉」の指南がどこでも謳われ、
その重要性が強調される時代。
けれどもそれはときに暴力的だ。
誰かと対話する時も、SNSに投稿する時も、
言葉は周囲に合わせてチューニングされている。
けれど、分かってもらおうとして、伝えようとして、
いつのまにか「言いたいこと」ではなく、
相手の「聞きたいこと」に変わってしまったことで、
捨ててきた「自分の枝葉」があるのだと思う。
「公で語ることのない感情や言葉」のために、
誰のためでもない、自分のために捨ててきた枝葉たち、
理由なんてわからなくても何だか好きだなと思う言葉、わからなくてもいいという感覚、
とでも言おうか、を拾い集めて、
自分の言葉たちが呼吸をする時間が、必要なんじゃないかと思う。
大人になったわたしは、鳥籠を快適にすることも、
そこから出る方法も、知っている。
そして、その鳥籠が“葛藤”という名のわたしそのものだと言うことも。
私は私を本当はほとんど残すことができていない。
けれども、若い頃に書いた詩の中には、確かにわたしがいて、
その幼きわたしに何があったのかは、すっかり忘れているけれど、
私の心そのものをとても大切していたこと、忘れてしまえていたことそのこと自体も、
ひどく好ましく思うのだ。
実家に戻って、一ヶ月。父も母も、相変わらず変わらない。
けれども、彼らは年を取ったし、わたしもその分、少しだけ大人になった。
そして、わたしは彼らをとても愛していることを
彼らもわたしをとても慈しみ大切に育ててくれたことを
思い知る日々だ。
夜になると真っ暗闇になる田舎の空は相変わらず、
星たちはおしゃべりだ。
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