「ひとつは時代は何時も異端者といわれる者によって切り開かれ、
やがては、当たり前の事として「流れ」ができる。
ふたつめは、当たり前と思われていることに、疑問符を持ってください。特に、自分が正しいと信じていること、大嫌いと思っている事や人物。
対極は「真理」への第一歩です。」
命と言うものは、必ず誰にでも終わりがある。
等しく、それは訪れる。
どんなに生きて欲しいと望もうとも、必ず死というものは、迎えにくるものらしい。
昨秋に末期の肺癌と診断されて、自宅で療養することを決めた父のため、
実家に戻ったのも束の間、
冬のはじめに、あっという間に父は旅立ってしまった。
父は、世の中に、『ロハス』や『オーガニック』などという言葉が広がる前、
まだまだ世間の認知も理解も得られない時代に、
編集者として勤めていた出版社を辞め、田舎に戻り無農薬農業をはじめた。
『食べることは生きること』を芯に置き、
母と共に、土を育て、森を育て、田を育て、人を育て、
まっすぐに、本当にまっすぐに生きてきた。
そんな父がする子育ては、当然ながら、厳しくて、
どんな小さなことでも、父を説得できなければ、反対された
(要は父を説得できるくらいの信念がなければ、本気じゃないと判断されるのだ。遊びであれなんであれ)。
子どもの頃は、そんな父が窮屈で仕方がなかった。
けれども、大人になってから向き合う父は、
わたしの羅針盤で、理解者で、生きる光そのものだった。
それは、多分、わたしが私の人生を本気で生きはじめたからだと思う。
昨年の夏くらいから体調を崩し、昨秋に病院に行った時には、すでに末期の肺癌で、
彼は残りの時間を自宅で過ごすことを決めた。
これまで、父がわたしに頼み事をしたのは、たったの2回しかない。
1回目はわたしが癌になった時、自分より先に死んでくれるなと。
2回目が昨秋の、帰ってきて母を守って欲しいと。
父が決めたどう死んでいくのかという覚悟に、
わたしもとことん付き合おうと思ってひと月。
日に日に思うようにならないその身体に向き合いながらも、
死後の始末について、綿々とメモや録音を残して、
最後まで「生きるものを作る生産者」として、父は逝った。
わたしにあとどれくらいの時間があるのか分からないけれど、
その全部を差し出してもいいから、
父には生きていて欲しかった。
父が遺したたくさんの文章やメモを整理していたら、
こんな言葉が書いてあった。
「ひとつは時代は何時も異端者といわれる者によって切り開かれ、
やがては、当たり前の事として「流れ」ができる。
ふたつめは、当たり前と思われていることに、疑問符を持ってください。特に、自分が正しいと信じていること、大嫌いと思っている事や人物。
対極は「真理」への第一歩です。」
知人の結婚式に寄せたものの下書きのようだった。
お祝いとして人生の節目に送る言葉すら、なんとも、彼らしいな、と思う。
父の逝った日の庭は、
山茶花がそこいら中に花びらを降らせていたけれど、
今はハナミズキがたわわに蕾をつけている。
迷った時、選択を迫られた時、
いつだって、父は、わたしに本質を問うた。
もう、それを聞くことができない。
それでも、父が残した言葉と生き方は確かに私の中に生き続けていて、
それらとともにわたしはこれからも生きていくのだと思う。
It's impossible to see you again, but I wish I would.
Dad, I miss you.
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