葛藤の中に、ほんとうの「ひとつ」がある

「悟り」や「目覚め」という言葉には、どこか神秘的で特別な印象があります。

まるで時間と空間を超えたどこかで、突然やってくる啓示のようなもの。



けれど実際には、それはもっと静かで、

もっと身近な出来事かもしれません。



それは、混乱しているときに。

自分の中で矛盾を感じているときに。

誰かを責めたあとに、ふと虚しさが訪れるときに。



つまり、わたしたちが「整っていない」と感じている、

まさにその瞬間にこそ――



この世界には、たくさんの「正しさ」があふれています。

国や文化や家庭、そして社会の中で、

「こうあるべき」という声が日常のすみずみにまで入り込んでいます。



誰かの振る舞いを見て、「それは違う」と心が反応するとき。

自分自身に対して、「こんな自分ではダメだ」と感じるとき。

その背景には、無数の正義と価値観が積み重なっています。



そして、それらに翻弄されながら、

私たちは「人格(パーソナリティ)」という仮面をつくってきました。

仮面はときに自分を守り、ときに誰かとつながる手段になります。



でもその一方で、私たちを自分自身から遠ざけてしまうこともあるのです。

この仮面の奥にあるのが「エゴ」だとよく言われます。

欲やプライド、自我――そういったものがわたしたちの中核にある。



そして多くの教えは、「エゴを捨てなさい」と説いています。

でも、よく考えてみて。

本当にそれは、取り除かなくてはいけないものでしょうか?



怒りや嫉妬、執着や恐れ。

それらは確かに、人を傷つけ、自分を苦しめるものかもしれません。

でも、同時に、それはわたしの一部でもある。



葛藤があるからこそ、変わろうとする意志が生まれる。

矛盾があるからこそ、問いが生まれ、深まっていく。



例えば、光だけが「良いもの」で、影は「悪いもの」だと決めてしまう必要はないのです。

光と影はどちらも存在の一部であり、

どちらかが欠けても、わたしたちは本当の意味で「わたし」になれない。



ワンネス――「すべてがひとつである」という感覚は、

何も完璧に整った、悟りの境地にだけ存在するわけではありません。



むしろ、感情が揺れているとき。

内なる声がぶつかり合っているとき。

その最中こそが、「ひとつ」への扉なのです。



だからもし、今あなたが

混乱の中にいるなら、苦しさを感じているなら――



その瞬間こそ、自分と深くつながるチャンスです。



静かな場所にひとりで座り、あなたの中で起きていることを、言葉にしてみてください。

書くという行為は、感情にやさしい輪郭を与えてくれます。


例えば、こんなワークはいかがでしょう?

ジャーナリング・ワーク|「葛藤の中のわたしに気づく」

  1. 今、わたしの中にどんな感情があるだろう?

  2. 何に対して、なぜその感情が湧いているのだろう?

  3. この葛藤を通して、わたしは何を守ろうとしている?

  4. 「正しさ」や「こうあるべき」があるとすれば、それはどこからきたのだろう?

  5. この感情や考えに、「本当はどうしたいの?」と聞いてみたら、

   どんな声が返ってくるだろう?

  6. 今の自分に、ひとこと声をかけるとしたら?



正解を探す必要はありません。

綺麗な文章にしようともしなくていいのです。

ただ、あなた自身の今のままの声を言葉にしてみてください。



ただ、「いまのわたし」に耳を澄ませてみる。

それだけで、少しずつ、自分との関係が変わっていきます。



光と影のどちらも抱えて、それでも前に進んでいくわたしたちの姿こそが、

ワンネスの一部なのです。


だから、どんな感情があっても、どんな葛藤に揺れていても、大丈夫。

そのすべての奥に、「わたし」があなたを待っています。


日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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