『自由』とはなんぞや?


風の時代、自由の時代、と
巷では言われていますが。


はて?自由とはいったいなんなのでしょう。


"我儘に無秩序に生きる"と言う訳ではなさそうです。
わたしには、

『個としての生き方』が問われるのだと思えてなりません。



Reflection on you , yourself .



“わたしらしく生きる”とはなんなのでしょう。


その答えには正解は無い様に思えます。
正解は無いと言うよりは、
わたしが選択したものがわたしにとっての正解なのだと。


ーーー
正しい道なんて分からない。
ただ、知っている。

正しい道なんて無いと言うことを。

ただ、わたしが歩いた道ならば

わたしが選んだ道ならば正しいはずだと

そう思えるわたしになるだけだ。

ーーー




ワークショップの記事を書くときに、
必ず書く言葉があります。


Somewhere beyond right and wrong,there is a field.I will meet you there.
善悪を超えたどこかに、フィールドがあります。
そこでお会いしましょう。


白黒、善悪、高低、どちらか一方しかないと
答えのある世界ではなく、
どちらもあるからこそ、見えてくるものがあり、
その葛藤があるからこそ、
自身が開かれ許しが存在する。

それゆえに判断、ジャッジを越えた世界があると
わたしは信じています。


そのすべてを見つめた世界の先には、
見たくない現実、見たくない自分の弱さ、認めたくない醜い感情、

そんなものが存在します。



けれども、その存在を認めることそのものが、
自分自身への信頼なのではないでしょうか。


何でもかんでも曝け出す必要はないけれど、
自分の弱さを認めて、生身の自分を見つめ、自身のコントロールを手放す。


それは、痛みを伴うこともあるかもしれません。
それでも、それを見つめた先に
『個』としての生き方の選択があるのだと思います。


“自由”とは、風をコントロールすることではなく、
自分自身の翼を操り
どんな風にでも羽ばたいていられることなのでは
ないでしょうか。



わたしは本当はどう生きたいのか?



自由とはいったいなんなのか。

それは、『自身の魂に純粋であること』だと、

わたしは思います。



風の時代になったとて、物質的な入れ物的な自由が訪れるわけではありません。

お金や時間や人間関係や様々な制約が、消えてなくなるわけではありません。



そう言った外側の不自由さの中でも
心の声に忠実であること。


例えば、囚われの身になった、ネルソン・マンデラや、アンネ・フランクは、

その環境に置いても、自身の生き方を選択していたのだと、どうあっても、魂は自由だったのではないでしょうか。



どの様な道を選ぼうとも、
善悪や白黒という外側の判断を超えて選んだあなたの道ならば、
どんな結果になろうとも
そこに喜びがあるのだと思います。


わたしは、それを問うていきたいのです。


あなたは本当はどう生きたいのですか?と。


あなたにあなた自身を生きるチカラがあることを

あなた自身のチカラで知って欲しいのです。




Reflection on you , yourself .


あなたにはあなたしか持ち得ない
翼があるのです。


日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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