本の世界は危険で、この世界をわたしは愛している乗り物に乗って、本を読んでいると永遠に目的地に着かなければいいのに。と思う。電車でもバスでも飛行機でも船でも。本を開くとそんな気になるので、ほんとうに危険だ。気がつけば、終点の駅で誰もいなくなった車内に取り残されていたり、滑走路に降りるどすん、という衝撃に驚いたり、到着を知らせる汽笛に慌てて荷物を片付けるはめになる。なので、降りてからの時間が決まっているとき、通勤電車とか、待ち合わせとか、歯医者の予約とか、は、本を読まないようにしている。(とは言え、電子書籍だとこうはならない。きっちりと、向こうの世界とこちらの世界は分けられていて、いつだって“現実”が手の中にある。)単行本より、文庫本の方が、より顕著に危険だ。本の重さを感じないので...08Feb2023たわむれ日々の音
違和感の正体少し前のことになりますが、とあるテーマのワークショップへ参加した時のこと。それをきっかけに、違和感のようなものを抱えていた。テーマはウェルビーイング。「ウェルビーイング」(well-being)とは、身体的・精神的・社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い。世界保健機関(WHO)憲章の前文では、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます(日本WHO協会)」とされている。いわんや、幸福、しあわせである、ということは、よいことだ。しあわせとは一体何なのだろう?何をもってしあわ...17Aug2022たわむれ日々の音
分かりにくさを考えてみる好きな作家で、ルピクーアという人がいるのだけれど。『ミルクとはちみつ』という処女作が世界的なベストセラーになったのでご存知の方もいるかもしれない。そして、もうひとり、好きな作家さん。和菓子作家YUKI FUJIWARA さん。和菓子の銘が「赤い魅惑」とか、「玉響」とか、四季の情緒や機微を生きることの真っ当さを思い出させてくれる。(和菓子の銘は、和語の麗しさに満ちていて、たいてい美しい…)“言葉”とか“日常の音”対してとてもまっすぐだ。それは誰もに伝わりやすさを目指した言葉ではなく、自身の心のうちや日常の音を掬い上げるように綴られたもの。それを詩で、和菓子で、表現されているような。26Sep2021たわむれ日々の音
風の時代にあなたは何を見るのか?“わたしらしさ”と世間の言う“平等”は、まったくもって、等しくならないと、感じているのだけれど。世の中は平等=皆同じ、ではないそれは当然のことで。その平等を“人権や人格や権利”に持ち込むから不平等は悪だという声高な一見正義に身罷られてしまう。なんのことはない。人は皆違うのだ。「人はみな違う」ということにおいて、人は平等なのだと思うのだけれど。20Mar2021たわむれ日々の音
『自由』とはなんぞや?風の時代、自由の時代、と巷では言われていますが。はて?自由とはいったいなんなのでしょう。"我儘に無秩序に生きる"と言う訳ではなさそうです。わたしには、『個としての生き方』が問われるのだと思えてなりません。Reflection on you , yourself .“わたしらしく生きる”とはなんなのでしょう。その答えには正解は無い様に思えます。正解は無いと言うよりは、わたしが選択したものがわたしにとっての正解なのだと。ーーー正しい道なんて分からない。ただ、知っている。正しい道なんて無いと言うことを。ただ、わたしが歩いた道ならばわたしが選んだ道ならば正しいはずだとそう思えるわたしになるだけだ。ーーー27Dec2020たわむれ日々の音
神さまの創る庭“神さま”と呼ぶと、とたんに書きたいことが端からこぼれ落ちていくような気がするけれど…田舎の家にいくと。“きちんと”自然があることに安堵する。そこにあるのは人が自然界の小さな一部であるという、ささやかで、厳しくて、それでも足ることを知っている暮らし方。存在する全てのモノへの、対話があり、畏敬があり、愚かしさがあり、可笑しみがある。音が流れ、匂いが流れ、時空が流れ、うっかりすると、鼻の奥をぎゅっとつままれる。12Jul2020たわむれ日々の音
正義のミカタ世の中には、スーパーヒーローがいるもので。映画でも小説でもテレビでも、主人公になったり、主人公を助ける存在として登場したりする。そして、架空の人物ではなく、現実の人物としても、ニュースや新聞やSNSなんかで話題になったり、する。なんと、心根の立派なひとの多いことよ。02Mar2020たわむれ日々の音
チョコレートの背徳これから、歯医者さんの定期検診というのについつい食べてしまう。チョコレートには、何か秘密があって、人の衝動を止められない背徳にも似た味がする。わたしは『至極便利だ』というようなものにあまり、惹かれない。例えば、多機能ボールペンのような、何色ものペンやシャープペンシルや消しゴムなんかも一体になっているような、もの。これさえあればペンケースの中がすっきりすることは分かっているし、ペンを持ち替える必要がないことも、分かってはいるけれど。例えば、『リビングがこれひとつですっきり』みたいな。ティッシュケースにリモコンラックに眼鏡入れに、果ては印鑑ケースに、などと盛りだくさんななんと呼んだらいいのか分からないもの。(ときおり、憎しみさえ感じる“...22Feb2020たわむれ日々の音
出会いについて思うこと -Encounter-手の中に収まる画面の中でいつだって、世界中の昨日まで知らなかった誰かと簡単に繋がることができる時代に。中東を旅した際に訪れたイスラエル博物館で、最も強く印象に残っているのが、「I to Eye」というタイトルのつけられた「出会い」についてのエキシビション。『I to Eye』私たちは毎日、家族、友人、訪問者、見知らぬ人と出会います。私たちの生活の中で、私たちの社会的なサークルは拡大し続けています。最新のテクノロジーにより、私たちはこれまで以上につながりを感じるようになり、スクリーンを通していつでも無限の友人と「出会う」ことができ、私たちは決して孤独ではないように感じることができます。『これは本当ですか?』31Jan2020たわむれつれづれ日々の音
情熱の行方「情熱」っていったいなんなんでしょうね。辞書を引くとデジタル大辞泉の解説じょう‐ねつ【情熱】ある物事に向かって気持ちが燃え立つこと。また、その気持ち。熱情。とある。イメージとしては、何かに打ち込む人、何かを手にするまで努力し続ける姿、集中して取り組んでいる様子、などに情熱を感じるのでしょうか。側から見ると、そこまでやる??と感じるくらい、何かに注いでいる様、にも情熱があるように感じます。ただ、そのような一見してわかりやすいものもあれば、内に秘めて、淡々と粛々と物事を進めている人にも、情熱は感じるわけで。何というか、「そう生きざるを得ない」「そうせざるを得ない」もの、にも思えてくるのですが。さて、わたしは何かに「情熱」を注いで生きてき...03Oct2019POINTS OF YOU®︎たわむれ日々の音
わたしの真ん中には音がないわたしは“言語化”ということに、多少の苦手意識を持っていて。ここのところ、そんなことを考えていたのだけれど。苦手というよりも、「誰かに何かを伝える言葉」を持たないのかもしれない。などと思う。こうして、今も書いてはいるものの。「誰にも伝わらないかもしれない」と思いながら書いている。「誰かに何かを伝えよう」として、わたしの言葉が「誰かの聞きたいこと」にいつのまにか、すり替わり書きたいと思った言葉に宿る枝葉がもげていってしまうのが怖いのだ。05Sep2019たわむれつれづれ日々の音
手紙の足音先日、学生時代の友人と10年ぶりに会いまして。彼女とのこの間の主なやり取りはメールでもLINEでもその他諸々でもなく、何故だか「葉書」である。彼女のほかに「葉書」や「手紙」だけでやり取りをしている友人が他に何人かいるのだけれど。どうしてそうなったのか理由は分からないのだけれど。この「葉書」「手紙」という距離感はとても心地よい。緊急でもなければ、社交辞令的な挨拶でもなく、特段なにか伝えたいことがあるわけでもないのだけれど。20Apr2019たわむれ日々の音