分かりにくさを考えてみる


好きな作家で、
ルピクーアという人がいるのだけれど。


『ミルクとはちみつ』という処女作が
世界的なベストセラーになったのでご存知の方もいるかもしれない。


そして、もうひとり、好きな作家さん。
和菓子作家YUKI FUJIWARA さん。
和菓子の銘が「赤い魅惑」とか、「玉響」とか、
四季の情緒や機微を生きることの真っ当さを思い出させてくれる。


(和菓子の銘は、和語の麗しさに満ちていて、
たいてい美しい…)


“言葉”とか“日常の音”対してとてもまっすぐだ。


それは誰もに伝わりやすさを目指した言葉ではなく、自身の心のうちや日常の音を掬い上げるように綴られたもの。
それを詩で、和菓子で、表現されているような。


言葉というのは、文字通りの「言葉」ではなくて。
表現しているものすべて。


ルピクーアやYUKI FUJIWARAさんがその美しく類い稀な世界をお持ちなのは、

自身の“言葉”を持っているからではないだろうか。



分かりやすく伝わりやすい言葉たちの持つパワフルさとは、

異なるチカラがあるように思う。



それは生きている言葉だ。


そこにはきっぱりとした潔さと覚悟がある。
自分へも他者へも媚びることなく、
ありがちな自己陶酔さえ濾過されたような。


たまに読んでいるこちらまで気恥ずかしくなるような、どれだけ飲んだのだ?

くらいな酔っ払った文章を見ることがある…(わたしもほんと気をつけよう)

酔うた人をみると興醒めするのと同じ。



それとは全くことなる“自我”を超えた世界がそこにある。


分かりやすく伝わりやすくするために、
余白を消した言葉たち。
ニュースの原稿のように事実のみになったものもの。
(昨今ではそうとも言い切れないが)



それは情報を確実に届けるための言葉だ。
それが必要なときは往々にしてある。


けれど、“分かりやすさ”を優先するあまり、
他人の言葉や、世の中で当たり前に使われている言葉を、

深く考えずに借りてきてしまうことの虚しさ。



その人の“世界”を作るのは、その人の魂の言葉、
なのだと思う。
それは書き手自身の人柄や体験や経験が透けて見えるような、その人にしか紡げない言葉。


けれど、それは何も“特別なもの”である必要はないし、特定の人だけに限ったことではない。


人は誰もがアーティストなのだと思う。
そう。誰もが。
人は生きている限り、何かしらの言葉を使い、
何らかの表現をしている。


自身の魂にどれだけ忠実にいられるだろうか。
どれだけ自分の心を大切にしているだろうか。
どれだけ自分に正直で居られるだろう。


“分かりやすさ”にあなたの魂を売ってやしないだろうか?


冒頭のルピクーアの『ミルクとはちみつ』に
とても好きな詩がある。


タイトルは『すべての若き詩人たちへ』だけれど、
自身を表現したり伝えることが苦手だと思って(思い込んで)いる人に、読んでほしい。


あなたのアート
それはどれだけの人数があなたの作品を好きかの問題じゃない
あなたのアート

それはあなたの心があなたの作品を好きか

あなたの魂があなたの作品を好きか

あなたがあなた自身にどれだけ正直になれるか

そしてあなたは

絶対に

あなたの正直さを

伝わりやすさと引き換えにしてはだめ


ルピクーア

『ミルクとはちみつ』

すべての若き詩人たちへ




取り立てて小難しく分かりにくくする必要もないけれど、

恐れずに誰かの言う“正しさ”に
振り回されてはならない。


誰かの世界であなたを語るなかれ
大して気にする必要もない誰かのためだけに
あなたを使い果たすなかれ

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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