逃げるが勝ちよ


少し前に5年ほど勤めていた会社を辞めました。


理由は色々ありますが、

高圧的なパワハラ上司に対応することに疲れてしまった。

ということが大きい。


どんな人だったかというと、ここに出てくる特徴すべて+アルファ。

(で、わたし以外にも何人か辞めていっている)


このようなハラスメントなどに合った場合、
声を上げることが、情けなかったり恥ずかしかったり怖かったりして、

声を上げないまま終わらせてしまうことも、あるように思う。



思い出すのも嫌な自分の被害に向き合うことは怖い。
たとえ声を上げたとしても、何の対処もされないこともざらにある。

こちらに非があるように言われてしまうこともある。



それはおかしい。


いじめやDV、様々なハラスメント。
本当は「恥ずかしさ」を感じなければいけないのは、害を与えた方だ。



わたしの場合は、

・感情的になっていないか?
・こちらの反省する点は?
・相手の立場になってみたら?

を考えたり

・担当部署へ相談したり
・配置換えの希望を出したり
・客観的な意見を言ってくれる信頼できる人の話を聞く

など、やってみた。


けれども次第に、ご飯の味がしなくなり(食いしん坊なのに!)、
上司の上司がわたし以外の人への人格否定の言葉のハラスメントに対して、

「緊張感があっていいじゃない、何も間違っていない。」と“パワハラ”を容認したことで、限界だな。と、逃げる腹を決めた。



と、こう言う話を相談すると、ある人はしたり顔でこう言う。

「相手は鏡である」と。



「相手の言動に不快に思ったら、自分にも同じ部分があるから、そう思うのだ」と。


そう言う場合もあるでしょうけれど、
その対象の事象を通して、「自分の中に何が映し出されたのか?」
 が重要なのではないだろうか。



今回のわたしの場合で考えると、

「人を不用意に傷つけたり貶めてはいけない」というわたしの価値観。


 
相手がしていることが自分の中にある、と決めつけてしまうと、
「自分がダメだからこんな風にさせてしまうのだ」
と相手の行動を許すことになる。


 
あなたが許すべきは、相手の行為ではなく、自分の感情に蓋をしないこと。


人はストレスへの抵抗として、時に自分の感情に蓋をする。

感覚を麻痺させることで、必要以上に傷つくことを防いでいる。

それはそれで、心を守る手段のひとつであるけれど、限界があるように思う。


それは自分で自分自身の感情を否定していることになる。


どうか、傷ついていることを後回しにしないで欲しい。
あなたの大切なあなた自身の声を見失わないでいて欲しい。
「離れる」「逃げる」ことも選択肢にあることを忘れないで欲しい。


逃げずに「わたしが変わればいいのね」と思い込み、

我慢し続けることの方が、現実逃避だ。



大切な自分の人生に、彼らを介入させることを許してる場合ではない。
そんなヤカラからはとっとと、逃げて、自分の人生を生きよう。

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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