浪漫への誘い
あなたはロマンチストですか?
と、聞かれて、
手をあげる人はいったい、どれくらいいるのでしょうか?
では、あなたはどんな生き方をしたいですか?
と問われたら、答えられる人はいったいどれくらいいるのでしょうか?
ロマンチスト
① ロマンチシズムを主張する人々。浪漫主義者。
② ロマンチックな人。空想家。夢想家。
ロマン
感情的、理想的に物事をとらえること。夢や冒険などへの強いあこがれをもつこと。
「ロマン」と「生き方」と
夢と現みたいかもしれませんが、
わたしは、きっても切れないものに思えます。
わたしなんぞは、
カルガモ親子のニュースでもぽろぽろくらいは泣けてしまうのだけれども…
例えば、映画やドラマや小説やニュースや音楽を
観たり聴いたり読んだりして、他の人はなんとも思わないのに、なぜかキュッと涙腺を絞られるような…
そんな経験があるのではないでしょうか。
先日ネットにこんな記事が載っていました。
『死ぬ前に人がもっとも後悔すること』
米誌『Emotion』に掲載された「The Ideal Road Not Taken」の筆頭筆者で心理学者のTom Gilovich氏によると、人が最も後悔し苦しむのは、義務や責任に関してではなく、「理想の自己」として生きることができなかった後悔なのだそうです。
間違いをおかしたことや、すべきことをしなかったことは、
本当になりたかった自分になれなかったことほどは、
心を悩ませはしないということです。
Gilovichは次のように説明しています。
「私たちは自分の人生を評価するとき、理想の自己に向かって歩んでいるか、なりたい人間になりつつあるか、を考えます。こうした問題に関する後悔は、いつまでも心を離れることがありません。」
失敗はやり直せるけれど、最初から何もしていないことについては、軌道修正もできません。
もちろん、年を重ねるにつれ、優先度や責任は変化していきます。
それでも、いくつになっても、なりたい自分というものが必ず心の中に存在する。
その「なりたい」「ありたい」自分こそが、
あなた自身の「ロマン」そのものだと言えるのだと思います。
不意に涙腺をキュッと絞られるとき、
そこになにが隠れているのでしょう。
例えば、カルガモ親子のニュースで、ぽろぽろするわたしは、カルガモ親子が無事に道路を渡れたことはもちろんですが、このスピードが求められる現代に、カルガモ親子が道路を渡り終わるのを待つ、運転手さんたちのこころを思います。
1分でも1秒でも時間を無駄にできない、などと日頃生きている方たち、それはそれでとても一生懸命なのでしょう。
それでも、立ち止まる。
その時、彼らのこころにはなにが浮かぶのでしょうか。
荷物を待っている人の顔かもしれません。
家で待つ家族のことかもしれません。
とても急いでいるお客さんを乗せているかもしれません。
それでも彼らは立ち止まる。
彼らがその後、どのような時間を過ごすのかは分かりません。
それでも、誰かのために立ち止まることを選択した彼らに、わたしはキュッと涙腺を絞られるのです。
あなたが不意に涙腺を絞られるとき、
もしかしたらそこに、あなたの中に眠っているロマンがあるのかもしれません。
その「ロマン」と呼ぶあなた自身は、
あなたに揺さぶられ、目覚め起こされることを待っているのやもしれません。
あなたの「ロマン」はどのような姿をしていますか?
自分自身のロマンを知ることは、自分自身のテーマの再確認だとも言えます。
それは少しぼんやりとして、時とともに変化しているかもしれませんが、必ずそこに存在しています。
目を凝らしてよく見てください。
こうありたいと願うことがあるのなら、
少しばかりの時間、
浪漫に浸ってもよいではないかしら?
これから先、誰にも訪れる死が迫ったときに「ああすればよかった、こうすればよかった」と、あなたの大切な「浪漫」を亡霊にしないために。
さて、浪漫へ誘われたいあなた。
浪漫を見つめるワークショップはいかがでしょうか?
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