Authenticity、辞書を引くと
「真実であること」
「ほんものであること」
人や企業などについていうときには、
「自分らしい」「飾っていない」「真摯である」「ブレていない」という意味で使われる。
ただ、思うに。
単に「真実であること」=「自分らしさ」
だとは、感じられない。
どうやら、Authenticity は、
「本物らしさ」「自分らしさ」だけでは足りなく、
「自分らしさ」を充分に自覚して、それを体現していること、という意味を含むから。
らしい。
ふむ。
そもそも「自分らしさ」とは、いったいぜんたい、なんだろう。
「自分らしさ」を見せなさい、と言われても。
個の時代と言われ、「こういう人はこう生きなければならない、こういう場ではこうでなければならない」というような、一方的に与えられたキマリ社会でもなくなってきていて。
とは言え、
場を問わず「オーセンティシティ」「あなたらしさ」「自分らしさ」の発露が必ず求められている社会でもない…
のが、現状なのではないかしらん。
「自分らしさ」を問う研修でも
タイプ分けだとか、モチベータだとか、
数値や実験や数量化が行われる場合がある。
明確な結果を求められる場には、必要なのでしょう。
ただ、わたしの頭の中は混乱する。
「自分らしさ」を問うているのに、
何ゆえに、測ろうとするのだろう?と。
とは言え、判定は分かりやすい。
様々な「判定」も自分を知るひとつの術になる。
納得することも大いにある。
与えられ測られた「理解」「納得」と言う、
安心材料なのかもしれない。
間違いのない、よりどころ、と言うような。
タイプ分けなどは自分も含めた人付き合いに、有効だとも思う。
それもひとつの自分を知る方法なのでしょう。
ただ、わたしは、人は測れない底知れない「わたし」というものを誰もが持っていると思っている。
但し、そこに囚われすぎなければ。
おかしな表現だけれど、
「測られたわたし」「手に入れたわたし」からも
自由でいたいと思うのだ。
自分や世間の「判定」に、囚われたくないと思うのだ。
もしかしたら、
タイプ分けされて(判定されて)、判定された自分自身を表現しなくてはならないと思い込んでしまい、奇妙な自分探しの強迫観念の中に迷い込んでしまう人(判定どおりでいなければ…、わたしはこのタイプだからこうなるのではないか?…)
…もいるかもしれない。
…などと勝手に憂う。
判定好きな人の中には、
決まりきったような、レッテルを貼るような人もいるので、
いかんせん、わたしには大きなお世話である。
人は、いくらでも、予測を超えていける。
過去は「いま」だし、「いま」を生きていることが未来になる。
「いま」には、遠い過去も、ずっと先の未来もすでに入っている。
誰にでも、のっぴきならない「わたし」がいるでしょう。
傷ついた過去も、呆れるくらいこだわってきたこともあるでしょう。
人を好きになったことも、嫌いになったことも、憎んだことも愛したことも、
あるでしょう。
悔しかったり、恥ずかしかったり、嬉しかったり、泣いたり笑ったり。
色んなことを感じて経験して生きてきたし、
これからも生きていくのです。
例えタイプ分けで同じタイプだとしても、
まったく同じ場所で、一見同じような体験をしたとしても、まったく同じに感じるでしょうか。
友人と旅行に出かけて、同じ時間を過ごしても、
切り取る風景も違えば、覚えていることも違う。
その違いこそが、「自分らしさ」なのでは
ないのでしょうか。
そして、同時に。
その「いま」の「わたし」の中には、
「どういう人でいたのか」
「どういう人でありたいのか」
「どういう人になりたいのか」
すべてが、大切にしている思いで繋がって存在していると思うのです。
それは、いったいどんな思いでしょう。
それを知るために、自分の外側に表現してみる。
これまでの、いまの、これからの、わたしを語ること。
どういう人でありたいのかという欲望を見つめること。
そんなことを繰り返していると、
くっきりとした「わたし」が浮かび上がる。
誰に何を言われようとも、
いっとき、何かに捕らわれようとも、
何かに影響を受けようとも、
そこには、消えないわたし、というものが存在する。
そして人は、互いに作用し合う。
影響も受けるし、
変化していく。
扇を横に広げると、そこには表裏がある。
表を見るときは裏は見えず、
裏を見ているときは表は見えない。
もしかしたら普段は、互いの存在すら気づかない。
でも、どちらも
その一つの扇を作っている。
「自分らしさ」というのは、
秩序も倫理も、時空も越えるもの。
なのではないのでしょうか。
どちらか一方に固執するのではなく、
渾然一体とした、わたしという扇で舞えばいいのだと。
そんなことが、わたしという存在を表現することであり、体現された「自分らしさ」に近づく方法なのではないかと思うのです。
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