常々思うことがあるのだが、
人は「答え」があると安心する生き物なんだと思う。
〇〇診断だとか、血液型だとか、誕生日だとか、
そう言うもので、「〇〇だから、△△して、□□なんだ」と当てはめて、
当面のあいだ、先付けであれ後付けであれ、
理由をつけて安心したり納得したりするのである。
むしろ「答え」というより、
「理由があると言うこと」
に安心しているのかもしれない。
それについては、良いも悪いもないし、
星占いなんかで言えば、わたしも石井ゆかりさんとか、しいたけさんのは、
文章が好きなので、
読み物としてもたまに読んだりする。
ただ、ひとつ。
忘れてはならないと思うことがある。
人間は見たい事実だけが見える、
というクセがあるということ。
自分自身に、もしくは他者に、
〇〇タイプとか、△△型とか、そう言うものを
当てはめて、決めつけてしまうこと。
人以外のことでも、それは起こる。
過去の出来事から、ネットから、誰かの噂話から、
得た情報や思い込みがあるとして。
観察し(たつもりになっ)て、
仮説を立て(たつもりになって)、
(自分の見たい事実を)確認するために仮説を立て、
「ほらやっぱり」と、
自分の考えを補強する事実を見つけて安心する、
ということを結構やってるもんである。
統計学やら偉い人の研究やら、
様々な知恵と知見を重ねてきたとしても、
99%その通りだとしても、
1%は、そうではない可能性があるかもしれない。
どこを探したって、
これが「自分にとっての真実」なんて、
どこにも書いてないじゃないか。
わたしはそれこそが、
それを問い続けることが、
「生きている」ということだと、思う。
人は、いつだって、
「枠」の外側にいけるのだ。
わたしも。あなたも。
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