ご存知の方も多くいるかと思うけど、
金継ぎというのは、日本の伝統的な陶磁器の修理法。
割れたり欠けたりした陶磁器を漆で接着して、
継ぎ目に金や白金などの粉を蒔(ま)いて飾る。
20代の頃から使っていたお気に入りの猪飼護さんの器を何年か前に欠いてしまって。
欠いてしまった時は、「金継ぎ」を知ってはいたものの、
なぜか自分の器とは結びつかずにそのままに。
ある時に参加した「KINTSUGI」のワークショップ。
こちらは、器への金継ぎではなく自分自身の人生に施す哲学的な方。
これをきっかけに、
“自分の壊れている、難しい、辛い部分を、光や金や美しさを照らす部分として見る”
ことは、誰でも選択できる”ことを深く考えることに。
ようやく自分自身の気持ちのKINTSUGIが落ち着いた頃、
四間道の茶房花千花さんの「金継ぎワークショップ」のお知らせが目に留まる。
早速申し込んで、ようやっと猪飼さんの器を抱えて行ってきた。
はじめての金継ぎ体験。
先生の丁寧でコツを押さえた説明のおかげで、
“欠け”は、美しい跡になった。
今回体験した工程は、
1. まずは、“欠け”をよく観察すること。
2. パテを“ちょうどいい”厚さに埋め込むこと。
(今回は短時間&欠けの金継ぎのため本漆での継ぎではなくこの手法とのこと)
3. きちんとパテが乾くのを“待つ”こと。
4. “余分な”パテを紙やすりで丁寧に丁寧に地と馴染むまで削ること。
5. 金粉液を均等に厚すぎず薄すぎず
(けれども整然とではなく、“欠けの味”のあるように)塗ること。
6. 最後に金粉を優しく蒔く(これは先生がやってくれた)
その工程はまるで、KINTSUGIのワークショップで
心を回復させる作業そのもので、「金継ぎ」の背後にある哲学は、
単純な芸術的実践以上に、それは癒しと回復力と繋がっていた。
壊れたものは過去を受け入れ、
壊れる前よりも丈夫に、美しく、貴重になる。
この比喩は、その対象が肉体的なものであれ、精神的なものであれ、
癒しのあらゆる段階への洞察を与えてくれる。
『壊れたものを修復することは、勇気のいることです。
なぜなら、再び壊れるかもしれないということを受け入れなければならないからです。』
私たちは皆、自分の欠点や傷を持っている。
けれども、金継ぎのように、苦難によって変化し、
強くなることができる。
目に見えるものであれ、見えないものであれ、
傷跡はあなたが困難を乗り越えてきた証であることを思い出させてくれる。
歴史を刻むことで、あなたが生き抜いてきたことを証明し、魂を豊かにしてくれる。
より美しく、より逞しく、より尊く、より...自身そのもので。
何事もなかったように装うことはできるけれど、
何かがあったのは確かだ。
傷はメッセージだ。
それを認め、何らかの形で受け入れることで、
それを解放することができる。
それには勇気がいる。
そのためには自分に正直になり、困難を否定したり覆い隠したりするのではなく、
認めることが必要だ。
過去を変えることはできなくても、
別の見方をすることはできる。
それはあなたを束縛するものになる必要はなく、
あなたをより良いものに変えることができる。
そうして手に入れた自分は、
間違いなく、より繊細で、おそらくずっと強い、新しい自分だ。
傷跡は証言する。
苦しみや困難は自分という物語の不可欠な一部なのだ。
金継ぎの工程は、それらを誇りに思い、唯一無二の物語に光を充てる。
あなたの傷跡はあなたの奇跡だ。
傷とは、光があなたの中に入り込んでくる場所だ。
ジャラール・ウッディーン・ルーミー
【お知らせ】
ペルー聖なる谷でのリトリートの体験から生まれた
レジリエンスと癒しのためのワークショップ
−Oneness−あなたの「傷」はあなたの軌跡
こちらのリリースにあたり、
ワークやオリジナルノートを作成していたのですが、今回の金継ぎ体験を受け、
内容をさらにブラッシュアップすることにいたしました。
複数回のワークショップと間のジャーナリングを通して、
「自分とは誰か?」
「何が自分なのか」
「自分は何が本当にしたいのか」
「ありのままに生きるとはどういうことなのか」
レジリエンスとアイデンティティを探究していきます。
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