わたしの母は、とても風変わりな人で、
なんというか、
母親らしくないのだ。
親離れ、子離れというものがあるけれど、
母とわたしのあいだには、
それがない。
物心ついた時から、
彼女は「母親」であることを
放棄していたように思う。
こんな風に言うと、
きっと彼女は、
「そうねぇ、ダメな母よねぇ」などと
けらけらと笑うだろう。
わたしが小学生の頃、
夏休みに入ったばかりの、昼下がり。
突然、「ゴミ捨てについてきて」と言う。
こんな昼間に何を言いだすのだろうと思いながら
近所の神社の近くのゴミ捨て場まで
母と歩いた。
乳母車には黒い大きなビニール袋が乗っている。
ゴミ捨て場に着くとおもむろに
真っ黒なビニール袋から、これまた大きな旅行鞄を取り出し、きっぱりと
「ママ、おばあちゃんとこ帰るわ」
などと家出をするのである。
その横顔がとても美しかったのを覚えている。
ま、夏休みの間に帰ってきたのだが。
そんな母が子どものわたしに言う口ぐせは、
「これからどんな人と出会おうと、どんな人と生きていこうと、独りで立っていなさい。立てるような人間でいなさい」
小学生のわたしには、母の言わんとすることの半分も理解できなかったのだけれど、確実にわたしの中に刻まれている。
そんな母に、一度だけ手紙をもらったことがある。
若い頃、当時の職場の上司に罵られ、悔しくて母に八つ当たりをしたくせに、何も言いたくない!などと言うわたしに。
わたし以上に悔しがり、
わたし以上に泣き、
わたし以上にわたしを信じてくれたのだ。
母親というよりも、親友のような文面がそこにあった。
「これからどんな人と出会おうと、どんな人と生きていこうと、独りで立っていなさい。立てるような人間でいなさい」
人は独りぼっちだと言うことではない。
自分の人生の舵は、自分で切りなさい。
自分で選びなさい。
そんな風に言われていたのだと思う。
そう言えば、
わたしの元夫の前でも、臆面なく父に喧嘩をふっかけながら、「パパの顔に惚れたのよ」などとのたまっていた。
モディリアニとサガンとニューヨークと
お酒と煙草の大好きな母。
わたしはそんな母がとても好ましい。
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