『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者である山口周氏が、
面白法人カヤック社長日記の柳澤氏との対談の中で、こう述べている。
『僕、やっぱりイギリス人ってすごいなと思うんですが、イギリスは非成文憲法、つまり憲法と呼ばれる文書は存在しないんですね。もちろん成文法もありますが、法律の上位概念は、習律や慣習、
のようなものです。
実定法廷主義は、テキストに書いてあるから良い・悪いという判断になりますが、それだけに頼りすぎると、ある種の知的な災禍を招くのではないかという気がしています。
経営理念も同じで、テキストに頼り過ぎてしまうと危うい。本当に強い組織って、なんとなく日々のやりとりの中で、空気として「ここから先はダサいよね」「これはうちの仕事の流儀じゃないよね」というものが存在すると思うんですよね。』
世の中には、様々なルールが存在する。
例えば、法律でも。
青信号なら進め、とか。
人のものを盗んではいけません、とか?
現在の日本には法律だけで、公法、教育法、民事法、刑事法、社会法など様々に、
2,500件を越えるとある。
社会的秩序を保つために、定められているものたち。
わたしも会社員なので、
会社という組織の中にもルールがある。
ああ、そうね、と思うものもあれば、
なんでそんなことまで、と理解できないこともある。
その、ポイントは人それぞれであろうけれど。
わたしが考えたいのは、その組織の持つ空気について。
それは、言葉を変えれば、
そこに流れる美意識なのではないだろうか。
と思っている。
なんでもかんでも、良し悪しの白黒をつけることの怖さ。
時に必要なそれは、時に人を裁くという奢った正義感へ導くように思う。
もちろん、誤ったことへの進言は必要だとは、思うけれど。
『言語化されていないけれども、コミュニティで共有されている良いこと、悪いことという、いわば空気』(良いこと、悪いこと、にも一方的、断定的でなくあって欲しいが)
これ、本当にその通りだと膝を打つ。
その空気こそが、美意識だと。
そして、もっと大切だと思うのが、
『本当に強い組織って、なんとなく日々のやりとりの中で、空気として「ここから先はダサいよね」「これはうちの仕事の流儀じゃないよね」というものが存在すると思うんですよね。』
これが、美意識が共有されているかどうかへの測りというか、目安になる違和感なのだと思う。
違和感なぞは、人それぞれだ。
それが一致している必要はないのだけれど。
その違和感を感じた根底に、
言語化されていない、そのコミュニティの持つ空気が流れていればよいのだと思う。
社則やルール、テキストなどは、言語化されているものだけれども。
そこに書かれていない、美意識。
誰かと仕事をするとき、何かの組織で働くとき、規模の大きさの大小に関わらず、
この醸成された空気感が、ビジョンであり理念であり、
共同体の美意識と呼べるDNAなのではないのだろうか?
それは、即席に短時間で完成するものではなく、
一見無駄にも非効率にも思えるような時間と手間をかけて、
個人の中で咀嚼され、それが互いに浸透し合い、
熟成していくものではないのか?
それを圧縮機にかけて、均一均整にコンベアー式に生み出すのか、
凸凹すらも面白がるのか。
はて。
それはそのコミュニティの羅針盤次第なのである。
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