蚤の芸を見せるサーカスが昔あった。
それを元に生まれた、使い古された「蚤のサーカス」の教訓ではあるけれど。
(なんと、蚤のサーカスは日本でも興行されていたとか…ちょっと、見てみたい気もするけど)
さて、蚤のサーカス。
「蚤のサーカス」は教育の分野で一種の警句として用いられる場合がある。サーカス用のノミの訓練の最初の段階で、背の低い箱にノミを閉じ込め、ジャンプすると頭をぶつけるようにすることで、みだりに高く撥ねないように訓練すると伝えられており、このことから、何かしようとする子供の頭を押さえ付けることで、無意識に子供が伸びないようにしてはいないか、との意味である。
Wikipedia より
この話。
大人にも言えるのでは?と思う。
わたし自身、30代の頃から人材育成の仕事に関わってきているけれど…
穴があったら入りたいとはこの時のことで。
20代の頃。
色んな可能性を持った方たちに「蓋」を被せまくっていた、と今更思う。
当時上司にきつく言われた。
「相手を自分だと思うな」
当時のわたしは、
「そんな当たり前のこと、何言ってるの??」
と思っていたと思う。
本当に上司が伝えたかったことも分からずに。
「どうして(わたしと同じように)できないの?」
「なんで(わたしの思うように)動いてくれないの?」
「ここまで言ってできないなんて、この子には、才能がないんだわ」
などと、
カッコ内の(わたし)には気がつかず、
蓋を押し付けまくり、被せまくり、
NGの見本みたいなことをしていたわけです。
それから、何人か入っては辞めを繰り返して、
ようやくわたしは上司が言いたかったことを理解したのです。
人は、それぞれ違うのだと。
彼女たちには、わたしが見えていないだけで、
素晴らしい個性や才能があったはずなのに。
それを見ようとも探そうともしなかったわたしは
なんと愚か者だろうか。
思えば、わたしも父に蓋を被せられていた。
「(自分の経験から)無駄だからやめなさい」
「そんな職業食べていけるか分からないんだからお父さんの言う通りにしていなさい」
などと、父の敷いたレール以外の道が許されなかった。
ちょうどその頃、他の問題も抱えていた我が家。
わたしが自分の意思を通せば家庭崩壊だと言われ、
泣く泣く諦めたのである。
ところが。
やはり、描いた夢は、諦められなかったようで。
30を過ぎてから学校へ通い、こうして今、少なからず人の心に触れる仕事をしている。
人に同じように蓋を被せてしまったことや
被せられた蓋を外して、
もう一度夢を取り戻したことも。
ちゃんと覚えていようと思う。
いまでも、人と向き合う時に、
被せてしまった蓋のことを、
彼女たちのことを思い出す。
その後の彼女たちの人生に
蓋を外す機会が訪れたことを切に願う。
そしていま、目の前にいる彼らに、
わたしは蓋をしようとしていないか?と
自問する日々である。
後日談 : 父の決めた学校を勝手に辞めたわたしに、
父ははたと“蓋”に気がついたらしい。
今ではわたしの一番の理解者である父。
彼はいま、若者たちの夢を応援する仕事をしている。
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