誰かの正しさの向こう側


誰かの正しさの向こう側

The other side of someone's rightness


ひとは、なにゆえ、
「正しさ」を求めるのだろうか。


誰かに認めてもらうため?
自分を納得させたいため?
誰かを説得したいため?
自分の言動を確認するため?
理解していると確認したいため?


いったい、「正しさ」とはなんなのであろう。


答えがひとつ、ないしは限られている場合を除き、
「正しさ」なんて十人十色であると思っている。
(ああ、だからわたしは数学が苦手なんだわ、と言い訳してみる…)


時に、「正しさ」には、ある種の“正義”を感じることがある。
何かをコントロールしたい。
と言うような。


とは言え、わたし自身もその「正しさ」に
囚われる。


そんな場合は、大抵、誰かの「正しさ」に
わたしが奪われている。


そうすると、その正しさに、自分の正しさをぶつけてしまうのだ。



誰かの「正しさ」に、わたしが奪われている時。


ああ、やっちまったな…と。


そんなときは。


さんざん落ち込んだ後。

(落ち込むことも大事だと思っています……わたしはね。そこに止まり過ぎなければ)



少し立ち止まって、深呼吸してみる。
一回、二回、三回。


呼吸が、“わたしの真ん中に入ってくる”まで。


そうしてから、誰かの「正しさ」の向こう側には、
何があるのだろうと思い馳せてみる。


誰かは、いったい何を言いたかったんだろう?
誰かの、大切にしていることは何だろう?
誰かが、わたしに伝えたかったことは何だろう?


わたしはどうして、反応したんだろう?
わたしは何をひっくり返そうとしたんだろう?
わたしはいま、どんな気持ちになっているんだろう?


ひとは、自分の想像できる範囲で理解する。


自分の経験や知識以上のことを理解するには、
いったん自分の「正しさ」
誰かの言う「正しさ」から
解放される必要がある。


すなわちそれは、経験や想像が広がれば、
理解できることが広がっていくのだ。


それはたったひとつの正解には持ち得ない
可能性だと思う。



わたしを囚われから解放してくれる方は、

いつもこう問うてくれる。


「バルーンの向こう側へ回ってみた?」と。



日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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