「わたしの好き」のススメ


なにが好きかと聞かれると
「分からない」
と、言う方もいるのかもしれない。


ここのところ英会話レッスンに通っているのだけど、

その生粋のブルックリン生まれの先生であるTimは好きなものが

とてもはっきりしている。



なので。
嫌いなものもはっきりしている。


“What kind of music do you like?”
“What is your favorite movie genre?”
“What kind of TV show do you like?

などと聞かれると、
わたしはとても困るのだけれど…


ジャンルとかカテゴリーにあまりこだわりがなく
特定のこの歌とか、この映画とか、
この番組のこのゲストの回とか、
で、好きなので。


あーでもないこーでもないと、
自分の英語のボキャブラリーの無さに
もどかしいのだけれど。


ふと、Timと話していて感じたことがある。


「わたしの好き」がTimも好きな場合はもちろん、
例え彼が嫌いなものだとしても
わたしが好きな理由や彼が好ましく思わない理由を
さんざん話す。


これは、とても“健全”なことのように思う。


兎角わたし達は、忖度してしまうことがある。
相手が好きだと言っていることに
思ってもいなくても
なんとなく同調してしまったりする。


相手の勢いが強ければ尚のこと。


とは言え、本気の同調でないものは伝わるもので、
双方に…少なくともこちらには
なんとも言えない気持ちが残るものである。


ところが、


同調しない、ということは
決して否定することではないと、
Timは教えてくれる。


彼は自分の意見が絶対だと言うような
態度は決して取らないのだ。


話しているうちに、
「ああそう言う見方もあるんだね。今度見てみるよ」とか。
「じゃあ、あなたはきっとこれが好きかもしれない」とか。


相手の好きを大事にしようとするあまり、
こちらの意見を引っ込めて安易に同調してしまっていたら、

こんな風に互いの好きは広がっていかないのではないかしらん。



「わたしの好き」を表現することは
もしかすると、
「〜するべき」「こうあるべき」を
手放すことなのかもしれない、などと思う。


自分の好きなものを知っているということは、


「何をしたら自分の気持ちが良くなるか」
「何をしたら自分が不快か」


を選択できるということだ。


「わたしの好き」を表現することは、
自分を犠牲にするのではなく、
自分自身を大切にするということ。


自分自身を大切にできれば、
自分の痛みや他人の痛みに気づくことができる。


そうしたら、


自分だけの「べき」や正義や目的をもって、「好き」を押し通すのではなくて、
相手の好きも大切にできる「対話できる力」を持てるのかもしれない。


自分や他人の人生を
「こうあるべき」と決めつける力ではなくて、

誰かの心からの思いに気づける力。



自分で気づいたことをシェアして、一緒に楽しめる力。


そんなしなやかな気持ちを持って

「わたしの好き」が豊かになっていくことを
楽しみたいものです。

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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