“何もしない”のススメ


 Doing Nothing



物や情報から解き放たれて、
本来の姿に立ち返ることの大切さが見直される現代。


わたしたちは忙しすぎる。
常に何かに追い立てられるように、


結果を求められ、
誰かの顔色を伺い、
なんらかの役割があり、


何もしないと言うことが許されていない。
自らの意思で、選択しない限り。



“何もしない”ということは、
ただの“わたし”が見えてしまう。


“することがある”という状態は
ある種の防護壁のようなものだ。


そこへ向き合ってさえいれば、
感情を置き去りにすることすら
可能なのだから。


何もしない、ということは、
“わたし”の気持ちや思考や身体の状態に
無防備にも向き合うことになる。



いったいわたしは、
何を感じ、何を思い、
いま、ここにいるのか。


“何もしない”という時間に身を置くと
次第にいろんなものが浮かび上がってくる。


誰かに合わせ自動再生される挨拶
“するべき”や“あるべき”
繰り返される判断
忙殺されていく感情


“わたし”だと思っていたものが

わたし以外のもの、だったことに気がつく



一旦、気がついてしまうと
それは、“わたし”から
するすると剥がれていってしまい
“わたし”がくっきりとしてくる


“わたし”に向き合いながら生きるには、ときに孤立や寂しさも伴うことも、ある。


けれど、そんな寂しささえも自分の一部として受け入れたときに、

ヒトは“わたしとして生きる力”があることを思い出すのでしょう。



自分の感情や感覚、思考を敬い、愛するということは、
自分以外にも広く意識を向けるということ。



自らへの赦しを手にしたのならば、そこには、
これからの時間への深い愛情が目を覚ますのではないかと思う。


人生は限られている。



“何もしない時間”を
自分のために贈ってみてはいかがでしょうか。

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

0コメント

  • 1000 / 1000

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。