世界観とはなんぞや


人に見せるためのものではなく、自分の生活に愛情を注ぐこと、
誰のためでもなく、自分のために、自分の生活を大切にしたいものです。

(あこがれの美意識/中原淳一)



はて、個の時代。
『個の時代』とはすなわち、人の持つ世界観や表現しているものがより顕著になっていくのだと思うのだけれど。


はて、世界観とはなんぞや?


世界観を辞書で引いてみると。


 「世界観」

1 世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天観・厭世 (えんせい) 観・運命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。2 俗に、文学・音楽などで、その作品がもつ雰囲気や状況設定。


とある…ふむ。
引き続き辞書を引いてみると…


 「世界観の構造」
世界観は多種多様であり、極端に言えば各人の体験によって一人一人みな異なるのであるが、世界観と呼ばれる限りにおいて共通の構造を持っている。根底には必ず生活体験からくる〈気分〉や〈現実把握〉があり、その上で多かれ少なかれ統一的な〈世界像〉がつくられ、それにもとづいて諸問題に一応の説明と意義が与えられる。
さらにそこから,あるべき姿としての〈理想〉が打ち立てられ,最高の善や行動の原則など実践の指針が与えられる。


……



時折り、「世界観」を作るには?とか、
「世界観」が欲しいとか、見たり聞いたり聞かれたりするのだけど…


“濃度”の違いこそあれ、誰でもすでに持っているのだと思う。


では、その濃度の違いはなんだろうか?


『個』を持つと言うことは、
正解がないからこそ、自身で答えを見つけなければならないし、

自由だからこそ、自身への覚悟がある。



自分自身をどれだけ知っているか、と同時に
自分自身をどれだけ手放せるか、
と言うことなのではないだろうか。


例えば、自分軸があるとも言えるのかもしれない。
自分の判断軸のようなものだろうか。


何かを決めるとき、人は少なからず「迷う」。
大切なのはなぜ迷うのか?ということではないだろうか。


わたしで生きるということは、
どんな状況であれ、自分自身で決断をし進んでいくということで。


たとえその決断に打算や妥協が入ったとしても
何かに流されたとしても
それは“わたし”が選んでいるということ。


自分自身の感情に嘘をついてはいけない。


迷ったとして、
『わたしはなぜ迷っているのか?』
そのことだけをシンプルに自身に問いかけてみる。


世界観の濃度を濃くするヒントがここにあるように思う。


人に見せるためのものではなく、自分の生活に愛情を注ぐこと、
誰のためでもなく、自分のために、自分の生活を大切にしたいものです。

(あこがれの美意識/中原淳一)



人に見せるものと意識しすぎるあまり、
自分自身を何かに当てはめて、

他者の言葉を言い訳にして、

自身の直観やこだわりを蔑ろにしてはいけない。


その一方で、こだわるがあまり、
自身の違和感をそのままにして、変化を受け入れないのも、また鈍っていくことになる。


『あなたは本当はどう生きたいのですか?』


世界観の濃度というか、純度かな。
純度の高い人やものには、どう生きるのか、その覚悟があるように思う。


このわたしで生きよう
Live myself, not somebody else.
もっと、わたしを楽しもう
Enjoy my way of life.


自由に、飛ぼう。
あなたにはその翼があるのだから。





わたしで生きると決めたあなたへ


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わたしを旅するPoints of You® vol.7 ーMy life’s closet ー わたしの手引き書

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日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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