うちの家は少し変わってたのだと、
大人になって思う。
子どものころ、父から
「サザエさん」や「ドリフターズ」など
“国民的テレビ番組”を見ることを禁じられていた。
ゲームもなければ、流行りの遊びもしらない。
その代わり、
「トムとジェリー」を見ることを“推奨”されていて。
兄弟喧嘩をするときは、
本気で『仲良くケンカしな』なのである。
(3つ下の妹と口喧嘩をしていると、もっと本気で喧嘩しなさい。と言われたものである)
よくもまあ、学校で仲間外れにされなかったものだと、
会話の合わないわたしを無視しなかった田舎の小学生たちに感謝する。
もう2月のことだけれど、
最果タヒさんの詩の展示を観に行って。
たくさんの、「詩になる直前の言葉たち」の中で
わたしを掴んだ言葉。
ちゃんと、動物すべてにおいしそうだと言える人でありたい。
平田俊子さんの『うさぎ』を久しぶりに
読み返したくなった。
(ぜひ、全文を検索して読んでみてくださいな)
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あなたは決してあきらめるな。
足の皮がめくれようと、切り株でつまずこうと、
立ち上がりわたしを追ってこい。
わたしの肉のうまさを思え。
三日ぶりにありつく獲物の味を思え。
わたしの肉はすこぶる美味だ。
(中略)
待っていたよ、この時をずっと、もう一千年も昔から。
あなたはわたしの首を思いきり咬むがいい。
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『ターミナル』1997年・思潮社刊
(一部抜粋)
不意に、父のことを思い出した。
彼は、40年以上も前、東京のど真ん中で暮らしていたのに、何を思ったのか突如脱サラをして、田舎に戻り、当時はまだ珍しく理解もされていなかった、無農薬栽培と出来うる限りの自給自足の生活に入るのである。
そんなだったので、子どもの頃のわたしは、
スーパーでパックされて売っている鶏肉や、綺麗な形に揃えられ洗われた野菜を食べるのは、
夏休みに東京の母方の祖母の家に行った時くらいで。
(これが無かったらわたしは世間を知らないままだったと思う)
毎夜、どこから集まってくるのか分からない、
いまでは世界に知られたオカリナ奏者やパーカッショニスト、アフリカからやってきた青年や、フランス人の奥さまと恋人の男性を(一緒に)連れた広告会社をフランスで経営しているおじさん。
どこでどう繋がっているのか、国も言葉も性別もばらばらな彼らは、
子どものわたしにも『仲良くケンカ』していた。
なぜ、父が国民的番組を観せたがらなかったのか…
大多数の意見のみが、けっして正解ではないと教えたかったのだろうか?
それとも、単なる捻くれ者なのか?
と、大人になったわたしは思う。
母は母で。
編集者だった父の会社の取引先の出版社のタイプライターだった母。
それ故かわが家は埋もれそうなくらいの本に囲まれていた。
テレビゲームもキャラクターもののグッズなども
「がちゃがちゃしててわたしは好きじゃないの」と言う母は、
小学生のわたしに流行りものの代わりに、「ジェーン・エア」や「悲しみよこんにちは」や
武者小路実篤や太宰治やブラームスの詩集やモディリアーニの画集を読めとよこす。
『人はひとりよ、誰かと一緒にいてもひとりなの、だから誰かと一緒にいられるのよ。
ひとりで生きていけるように、生きてなさい』
などと子供のわたしに宣う。
ウィスキーや珈琲の苦さを教えてくれたのも母だ。
ネオンも喧騒もない、3分も歩けば蛍の飛ぶ田んぼに出る田舎の夜はまったく静かで。
今でも実家に帰るとはじめのうちは、その静かさに心許なくなるのだけれど、
できれば雨の日に帰りたいと思う。
さわさわとそこら一面の空気が震えはじめたと思えば、ぽたんぽたんと、コンクリートの禿げた土を濡らしていき、ぴちゃんぴっちゃんとリズムを替えながら庭の金魚鉢で音と水草が踊りはじめる。
そうこうしているうちに、
色んな音がここにあることを思い出してなんだかわたしはほっとする。
闇が闇としてそこにあることの豊かさに
ほっとしていることに気がつく。
携帯も繋がりにくいので、夜の音を聴きながら、
本を読むか寝るしかない。
子どもの頃に慣れ親しんだひとりぼっちの何もすることのない時間に、
ふいに涙ぐんだりして。
作られた明るさや分かりやすさから隔離され、
在るものと戯れるしかない。
闇は鏡だ。
人の心を映し出す。
気がつかないうちに内側に溜まった澱のようなものと向き合わされる。
しばらくすると澱は上澄みを残して夜の闇に溶けていく。
時折り、田舎の闇が恋しくなる。
子どもの頃は、なぜこうも生きづらくするように育てたのだろうと思っていた。
大人になったいま、彼らがわたしに教えてくれたのは、生きる力だったのだとわかる。
この環境や時間を恋しいと思えるようになったのは、
わたしが一緒に暮らしていた頃の彼らの年齢を越えたからなのだろうか。
それとも、ようやくわたしがわたしの人生を愛せるようになったからだろうか。
なんにしても。
わたしは、ちゃんと、動物すべてにおいしそうだと言える人でありたいし、
骨までおいしくなって朽ちていきたい。
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