いにしえの時代から

ジェンダーフリーとかボーダーレスとかダイバーシティとか、カタカナで言われると、

まるでまったく新しいもののようだが。


 
個体それぞれを認めるということは、

太古からある、生命体が存在するための秘訣なのだと思う。


 
かつて、大きく時代が動いたとき、
先人たちは、個の集合体を使って困難を乗り越えてきたのではなかろうか。


そこに、国も性別も人種もなく、混沌とした中に、それぞれの個力を発揮させて、時代を再生してきたのではないだろうか。


何千年も続く「普遍性」。
いま、言われているカタカナは、ちっとも突拍子もない感覚ではないように思う。


時代がどんなに変わっても変わらないもの。
国境や社会的枠組みが変わっても通用するもの。

これからの時代は、再び「個」を生かした「集合体」のようなもので作られていく。


大きなうねりの中で


うっかり、ぼんやり過ごしていると、
人によっては、「波に流される」感覚になる人もいるかもしれない。


まあ、わたしもたいてい、ぼんやりしているので、
「のまれてるなぁ」なんて、溺れそうになったりするのだが、
そんな時には、「ああ、"いま"はのまれてるのね」と「いったいなにに?」と感じて考えるようにしている。


何しろ、泳げないので、がむしゃらには泳がずに、力を抜いて浮かぶようにする。


そうしてしばらくすると、

誰かが浮き輪を投げてくれたり、

気がつけば岸にたどり着いていたり、

もしかして立ってみたら、あら、浅瀬だったのね、なんて気づいたり。



そんなことをしていると、いつのまにか、
わたしの「個」がくっきりしてくる。


うねりの中で、どうしても必要なものは、残っているし、

しがみついていたけれど、いざとなったら大していらないものだったりは、

波の彼方へ消えていってしまう。


手放すことは、離すことと貫くこと。
どちらもある。

どんなに時代が変わろうとも、
変わらないわたしの「大切」や「個力」が
そこにある。

隠れていたわたしがくっきり色を帯びて
泳ぎはじめる。

あら、泳げちゃった…


「個」と「集合体」と


そうして現れた「個」で生きていくと
そこには、共鳴や共感や、創造や化学反応が起こる。

いつの間にか、世界と繋がりはじめる。
人は、ひとりだ。
ただし、ひとりぼっちではない。

「個」を立ててこそ、世界を慈しみ、戯れ、関わり、受け継ぎ、

時代と生きていくのだと思う。

「集合体」のまんなかに、じぶんを置いて、「大切」と遊べるのだと思う。


じぶんの「個」を見つめる時間は


日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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