その世界は、すでに自分の手の中に

「小型船に乗って島に来ました。さらにバスに乗ってここまで来ます。見るとどうでしょうか?」


直島 地中美術館のスタッフ向け勉強会
参照:http://benesse-artsite.jp/story/20160623-552.html


時に人は、自分を見失う。

情報に溢れ、何でも簡単なこの時代に。
ワンクリックで、簡単に答えが手に入り、「わたしとはなんぞや」を与えられてしまう時代に。


そんな今、どうやって人は「わたし」を手に入れるのだろうか。


奇才 アインシュタイン はこう遺した。
自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。


色んな仮面を被り生きているのは、誰もの日常だ。
必要に迫られて、若しくは無意識のうちに。


それは、平和で効率化された日常を送るための人間の能力でもある。



況んや、そんな毎日ばかりのみを
なんとなく過ごしていると、
はたと、「わたし」はどこかへ行ってしまっていることに気づく。

それに気づいたのなら、チャンスの女神が舞い降りたのだ。


「小型船に乗って島に来ました。さらにバスに乗ってここまで来ます。見るとどうでしょうか?」

当たり前に選択なくやっていることに、
この問いかけを引用してはどうだろうか?


なかなか小型船に乗って島には行けないかもしれないが、日常にスペースを空けることはできる。



日常にスペースを空けることは、
無意識の行動を一旦停止させ、考えさせる。


空いた空間は「わたし」にわたしの目と心を取り戻させる。

何かに対峙した時、何を感じるのか、そしてそれを通して何を考えるのか―。


外側のどこかに、わたしはいない。
わたしの中で眠っているだけなのだ。


お手本の正解も不正解もない。
「わたしの目で見て、わたしの心で感じ」出した答え。

マルバツをつけずに、
ジャッジせずに、
ただ、ただ、感じたらよいのだ。

そして、出した答えは、変わっていく。

その日、その時、その場所で、わたしが生きているのだから、むしろ移ろっていく。


感じることが変わるだけで、わたしと言うものが揺らぐのではない。

わたしと言うフィルターを通して、
いつだって、世界は自分の手の中にある。


まずは朝、鏡を見たとき
「今日のわたし、ごきげんいかが?」
から、1日をはじめてみよう。

わたしが目覚めて、冒険がはじまるかも。

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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