美術展に行きその絵を前にすると、
しばし動けなくなるさせる画家がいる。
Vincent Willem van Gogh
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
後期印象派の代表的な画家であり、近代美術の父
フィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853年3月30日-1890年7月29日)はオランダの画家。後期印象派運動の中心人物。西洋美術史において最も有名で影響力のある芸術家の1人。近代美術の創設者とみなされており、20世紀初頭に出現した前衛芸術家たちに大きな影響を与えた。
わずか10年の創作期間のうちに約2100点以上の作品を制作。そのなかの約860点は油彩作品であり、また、作品の大半は、37歳で自殺するまでの約2年間に制作された。
風景画、静物画、ポートレイト、セルフポートレイトを大胆な色使いと、表現主義的な激しいブラシストロークで描くのがゴッホ作品特徴である。
Artpedia 近現代美術の百科事典 より
さて、ファン・ゴッホ
美術に興味のない人でも、一度はその絵を見たことがあるだろう人物。
このドラマティックな画家を愛してやまない人は多いでしょう。
どこに魅かれるのかは、人それぞれであろうとも、
否応無しに引き込む力を持つ強さがある。
わたしは、評論できるほど詳しくもなければ、
感覚だけで捉えているのだけれど…
狂気の画家と呼ばれるゴッホだけれども、
わたしには「愛を求めた画家」という印象が強い。
「わたしはここにいる」と叫び続け、
孤独に震え、溺れ、
それでも飲み込み、描き続ける強さ。
とりわけ自画像を多く描いた画家だけれども、特に1887年に描かれた何枚かの自画像が好み。
グレーのフェルト帽を被った意思的な目に射抜かれ、絵の中に入りこみ、これはわたしなの?と、境目がわからなくなり、
気付いた時には、いつのまにか泪が溢れている。
この世に、彼とわたししかいないのではないか?
いや、ひとり、しかいないのではないか?
わたしの中に眠る狂気と情熱に、
「お前はそれをどうしようとしているのか?」
と、突きつけられる。
たしかに、ゴッホの生涯は、波瀾に満ちていて、
一見狂気、いや猟奇的でもあるように一部では伝えられている。
それでもやっぱり、
わたしには「愛の画家」なのだ。
そして、それは狂った愛ではなく、
ただただ、どうしようもない愛する人へ届けたいという、純真無垢な不器用な愛。
日本へ、パリへ、弟テオへ、
そして絵を描くということ、そのものへ。
さて、わたしの中の狂気と情熱は、
これから先、どこへ向かうのだろう。
いったい、どこへ向かおうとしているのか。
いや、向かうのではないかもしれない。
わたしのことを「海」のようだと言う人がいるのだけれど、いつでもそこにあるのかもしれない。
適切な言葉が見当たらないのだけれど。
海に全てが還っていくように、
色んなモノを飲み込んで、ただ、そこにある。
流離ううちに不純物は海底に沈み栄養となり、いずれそのモノそのものの姿が浮かび上がる。
それをわたしは海に浮かべたいのだろう。
それがわたしの愛なのだろう。
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