遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば我が身さえこそ動がるれ
遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか、
戯れをしようとして生まれてきたのだろうか、
一心に遊んでいる子どもの声を聞くと、
私の体まで自然に動き出してくることだよ。
梁塵秘抄の中でももっとも有名な今様ではないでしょうか。
年を重ねるにつれ、
色んなしがらみや、欲望や、思惑や、
そんなことに“遊び”が絡めとられていく。
いったい、いつから、
遊びを忘れてしまったのでしょう。
いったい、どこに置いてきてしまったのでしょう。
ただただ、純粋な、穢れなき無心さは、
見るひとのこころを駆り立てる。
その圧倒的な熱量の一滴は、
いつしか波紋を拡げる。
子どもの遊ぶそれは、
あまりに無邪気で。
どこかに置いてきたであろう欲望を呼び覚ます。
どうしようもなく魅かれるものへの情熱は、
時に醜くなろうとも、
時に儚く移ろうとも、
きっと美しい死骸となるでしょう。
舞え舞え蝸牛
舞はぬものならば
馬の子や牛の子に蹴させてん踏破せてん
真に美しく舞うたらば
華の園まで遊ばせん
舞え舞えかたつむりよ
舞わないなら、
子馬や子牛に蹴(け)らせてしまおう、
踏み割らせてしまおう
本当にかわいらしく舞ったなら、
花の美しく咲く楽園にも遊ばせてやろう
いざ、子馬に蹴られる前に、
遊んでしまおうではないか。
舞え舞えわたしよ
思うまま
徒然なるまま
わたしの戯言に囚われず
この光の側の世界を
一編に切りとるために
誰かの独り言に惑わされず
この瞬きの時間を
悠久に越えるために
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