先日、蜷川実花さんの写真展に行ってきました。
蜷川実花展 ー虚構と現実の間にー
圧倒的な色彩と儚さと美しさの洪水に
溺れそうになりながら。
わたしをぼろぼろと鳴かせたのは
父である蜷川幸雄さんとの最後の間際を
切り取った
「うつくしい日々」。
どうあっても何が起ころうとも、
写真家である。
という蜷川実花さんの、
こうあらずもいられない性のようなものと同時に
果たしてわたしには
ここまでの性があるだろうかと考えさせられる。
そして、思いがけない贈り物をいただいた。
祝日と土曜の重なった美術館は、
とても賑わっていて。
どこの展示室も人で溢れていたのだけれど。
もう少しゆっくり観たかったので、
いったん美術館を出て、
珈琲を飲んでから、
少し人の落ち着いたころ。
うつくしい日々の展示室には、
わたしと作品しかいない、時間が訪れた。
作品というよりも
わたしが蜷川幸雄の病室にひとり紛れ込んだような、
そしてベットに寝ているのはわたしではないのか、
という錯覚を覚えた。
死に向かっていく「生」からの
その次の部屋の、
「PLANT A TREE」への流れは圧巻だった。
目黒川に散る桜の「生」と。
しばらく、ひとり、
父と娘のうつくしい日々に
迷い込んだ。
父と娘と。
わたしは今年のはじめに、ある病を患った。
手術は成功しおかげでこうしてぴんしゃんと生きているのだけれど。
父にそれを告げたとき、彼は冷静に受け止めているように思えた。
特にわたしに何かを言うでもなく、
「そうか」とひとこと
ぼそりと言っただけだったのだが。
退院してしばらくしてから、実家に帰った時。
父はいまにも笑いだすのではないか、というように顔を歪め、何かに耐えているように、こう言った。
「頼むから、父さんより早く死んでくれるな」
若いうちに実家を出て、離婚し、何度と転職して、
それでもわたしの決めたことにはすべて応援をしてくれている父が、
はじめてわたしに頼んだのだ。
決して後悔しない、やりたいようにやってきているわたしだけれども。
いつ終りがきてもいいと思うように生きているけれども。
あんな苦しそうな父の顔を見たことがない。
ひとは出会いと別れを繰り返す。
それが生きているということだろう。
それでも、彼の願いは叶えなければと。
それしかできないけれど。
それが娘であるわたしの父への約束。
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