行く前には、「複雑に絡まった国」
というイメージがわたしにはあったのですが。
確かに、歴史を紐解けば、
いえ、近年ですら様々な事情がある場所だとは思います。
わたしは、いっとき訪れた傍観者にしか過ぎません。この国について説明をする言葉を持ちません。
それでも。
いっときを過ごしたいま、
ここには共存が確かにあったのだと思えます。
エルサレムの旧市街の街並みをただ歩いていても、
色んな信仰と時間が層になって折り重なり、
この場所を作ってきたことが分かります。
美しいという言葉はもしかすると適切ではないのかもしれません。
それでも。
オリーブの丘のから見えるこの街は、
とてもとても、美しいのでした。
印象的だったのは、イスラエル博物館でのこと。
白髪の素敵なおじいちゃま、おばあちゃまが
誇りを持って働いている姿と、
そこここで、対話型鑑賞が行われていたこと。
館内マップをカウンターに取りに行くと、
とても丁寧に説明してくれる。
「どこからきたの?よくきたわね。ゆっくり楽しんで。」
「何時からはここでインスタレーションがあるわ」
「ここは特設展で、見どころはこれよ」
「ああ、こっちではこんなことやってるの」
などど、
あっという間に館内マップは、おばあちゃまの手書きでいっぱい。
対話型鑑賞とは、1980年代半ばに、アメリカのニューヨーク近代美術館で子ども向けに開発された美術の鑑賞法で、英語ではVTS(Visual Thinking Strategies :ビジュアル・シンキング・ストラテジー)ビジネスマンや学生など大人向けにも発展している。
家族、学生、子供たち、軍隊、色んなグループが
あちらこちらで、対話しながら回っていて。
ユダヤのハブルータを思い出しました。
親子で訪れ、アートで遊ぶ子供たち。
カメラを向けると、はにかみながらポーズを取ってくれました。
Love in Action
イスラエルだけでなく、今回の中東の国々を回った旅では、いつもそこに住まい生きている方たちから、多くの愛を幾たびももらったのです。
市場の写真を撮るために、ふらふらと歩いていると。買い物にちっとも興味のないわたしは、彼らになんの利益ももたらさないのに、
わたしがあなたにご馳走したいのよ、だってもう友だちなんだから、と
珈琲代だけでもと財布を出そうとするわたしを制し、珈琲やチャイや小さなお菓子をご馳走になり、あなたとあなたの国のことを聞かせて、と微笑むのです。
どこへ行ったらいいのかしらん?とバスターミナルで佇むわたしに、着いておいでとわたしの荷物をさっさとバスに載せ、手続きを済ませ、これで大丈夫、よい旅を!と、立ち去る地元の青年。
一度や二度ではありません。
色んなものを乗り越えて手にした、
力強さとたくましさとあたたかさとしなやかさ。
見返りを求めない、愛の表現。
わたしの目に、美しく映るこの場所の秘密は
その人々が醸している空気なのかもしれません。
そんなことを、
ここに住まう人々から教えてもらった旅でした。
0コメント