わたしは何者なのか。


わたしたちは何者なのか。
どこから来て、どこへ行こうとしているのか。


少し前にこんなことを書いたのですが。

どこかにいるであろう「わたし」は、
いま、ここにいるであろう、というような話。





ただ、


「わたしたちは何者なのか。
どこから来て、どこへ行こうとしているのか。」


この問いというのは。

生きている限り常にあるものなのだろうと、
思う。

これから先、どこへ行こうとしているのか?
と、捉えようとしていくこともあれど。


どこから来たのか?
と、過去から見つめることもある。


そんなことを考える機会があった。


考えようと思って考えた訳ではなくて。
勝手に考えさせられていたのだけれど…


大人になるにつれ、
自分の中から湧き出る「言葉」に対して、
素直になれなくなっている。



見知らぬ土地の電車の中で
勝手に流れてくる涙を拭いもせず
通り過ぎていく景色を
眺めるでもなく


わたしはいったいどこから来たのか。



わたしはいったい
なぜ泣いているのか。



昔、こどもだったころ。

言葉は洪水のように溢れてきた。


止めども止めども
書けども書けども
それは止まず


わたしのそれは
鳴り止まず
一晩じゅう書き続けた。



いつしか大人になって
「わたしの言葉」に蓋をしたわたしは
自分の言葉が空っぽになっていることにすら
気がつかず、
それでもまだ書いている。


取り留めもなく書きなぐることから
距離を取り、
あの頃から圧倒的に語彙は増えてるはずなのに、
物わかりの良い、耳触りの良い、お利口さんの
ツマラナイ言葉を使うようになってしまった。


わたしはいったいどこへ行こうとしているのか



あれほどに、たふたふとあった言葉の泉を
枯らしてしまったのは、
わたしの囚われだ。


この涙は
わたしが葬り去ってしまった
「わたしの言葉」への
贖罪だったのかもしれない。


そんなことをつらつらと
考えるともなしに考えていると


外には春の雨


白っぽいベランダのコンクリに
ポタリポタリと沁みていく様を
見やっていると


わたしが勝手にこしらえた
贖罪と言う名の墓標にふる
鎮魂のように


わたしの心を洗い去って逝く。


勝手に葬り去ってはなりませぬ。


わたしたちは何者なのか。
どこから来て、どこへ行こうとしているのか。


わたしへ問うていくしか、
ないのである。


日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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