赦しと抱擁と解放と


Take charge of one's own journey

赦しと抱擁と解放と


人は交差して影響しあっていく。

様々な視点は人を豊かにしていく。

さて、その視点を受け取るためには、
準備運動が必要よね、
という話。


時に、信じがたい出来事に遭遇したとき。
時に、理解しがたい意見に対したとき。
時に、醜い自分を知ったとき。



……。


時に、“わたしが”信じがたい出来事に遭遇したとき。
時に、“わたしが”理解しがたい意見に対したとき。
時に、“わたしが”醜い自分を知ったとき。




そんな時は大抵の場合、「わたしが」「わたしにとっては」なのである。


わたしの世界で、わたしの中を見ている。


よくあるコーチング的質問で、
それって本当?と問うても、


“わたし”にとっては、本当だし事実なのだ。


違う側面から見てみることは、とても重要だとは思うけれど。

少し準備が必要なのだと思う。



「それって本当?」が受け止められないとき。
(それって本当?が、たとえ単なる事実確認だとしても。“わたし”は繊細なのだ)


まだ、自分が見ている事実を紐解く前に、
その問いを投げかけると、
自分へのジャッジ(否定の方に傾いた)がはじまってしまう場合がある。


ときに、

それってこういう事でしょう。


みたいな事を言われることもあるかもしれない。
(相手がスキルやメソッド重視が強い場合「それって本当?」と大抵セットで言われたりする 笑)


それが、表層から少しだけ深い、言葉にしていないものだったりすると、

しかも、

少しドロッとした感情だったりすると。



うっかりしていると、それに飲み込まれてしまったりする。



“あなたは”何に傷ついているのか。
“あなたは”何を恐れているのか。
“あなたは”何が見えていないのか。



そんなようなこと。
(人によっては、何で分かるの?すごーい、などとなる場合もあるでしょうけれど。それはそれ。)


もしそれに、なんだか、モヤっとするならば。



その先にあるものを探してみて欲しい。


いったい、わたしは、何を大切にしているのだろう。
いったい、わたしは、何を守ろうとしているのだろう。
いったい、わたしは、何を慈しんでいるのだろう。



自分を赦し抱きしめるのは、わたし自身だ。

 

もしかしたら、誰かはこう言うだろう。
他人の評価から逃げるな、と。
 
 
それを立派な大人の常識として押し付けてくる。
 

自分の存在を認めさせるために、
天使のツラの皮ををかぶって正義を振りかざし、
ひたひたと近づいてくる。
(もしかするとそれは“わたし自身”かもしれない)


他人の意見や視点を聞くことと、

他人の意見や視点によって自分の存在を創られることは、おおいにちがう。



自分が見ている事実を紐解いたならば、
自分を充分に赦し抱きしめたならば、


ようやっと「それって本当?」という、

解放そのものに真に向き合うことができるのではないかと思う。



Take charge of one's own journey.



迷い揺さぶられることは、決してあなたが「無い」訳でもなく、

ましてや悪いことなんてちっともない。



人は交差して影響しあっていく。


だからこそ、様々な視点は人を豊かにしていく。


その視点を受け取るためには、
準備運動が必要なのでは、という話。


心を開くのはまず自分へよね。

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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