共鳴とはなんぞや
辞書を引けば、
共鳴
[名](スル)他人の考えや行動などに心から同感すること。
などと書いてある。
似たような言葉で「共感」があるけれど、
こちらは
共感
[名](スル)他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。
とのこと。
ふむ。
何というか、わたしの感覚だけれども。
似て非なるものだと思っている。
共感は、一方的にできる。
他方が放ったものを、こちらが何をせずとも
受け取ることで成立する。
客観的な、ある種冷静さのようなものを感じるのだ。
そして、「同一」だ。
同じように感じる、とか。
その一方で、共鳴は、
辞書に、
分子の構造が、一つの化学構造式で表せず、二つ以上の式の重ね合わせとして表される状態。
と、あるように。
双方が何かを起こす。影響し合う。
そして、必ずしも「同一」である必要がない。
いや、むしろ異なるもの同士が互いの鐘を鳴らし合うことで、倍音していく。
そんな風に、わたしは思っているのですが…
例えば、人と何かを作るとき。
相手に共感を求めている場合と、
共鳴を求めた場合だと、
まったく異なるものが出来上がるように思う。
どちらが良い悪いではなくて。
単にわたしの好みの問題だけれど。
わたしは共鳴し合いながら創り上げていく方が
好きだ。
熱量の違いだろうか。
難しいことはよく分からないけれど、
共鳴にはリアルさがあるように思うのだ。
先日、Points of You®の講座へ
再受講へ行った時のこと。
その時に、
Points of You®の起こしたい3つのうちのひとつ、
Sence of Belonging(つながりの感覚)
について話している時に、まさに共鳴だなと思うことがあった。
全員で輪になって手を繋ぎ、1人が信号を送る。
1人が受け取ったら手を繋いだ右隣の人へ
また信号を送る。
受け取った人が“次へ送る”という動作をしなければ、
そこで信号は止まってしまう。
手を繋ぐという、行動を使わなければ、
繋がることはできないのだ。
共鳴とはなんぞや。
わたしにとっては、
互いの熱量の交換であり、互いを尊重し合い、互いが震えあうことだ。
自身の鐘の音を鳴らす。
自身以外の鐘の音を聴いてみる。
時には、誰かにわたしの鐘を鳴らしてもらい、
わたしも誰かの弦を弾いてみる。
(鐘でなくてもよいのだ)
共鳴とは、
時に葛藤も生みながら、互いを慈しみ、共創しながら、関わりながら生きていく。
そんなものなのでは??と、そんな風にありたいなと、わたしは思っているのだ。
POINTS OF YOU×VOYAGE
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@Nagoya 7/20(土) 10:00〜18:00
Points of You®エバンジェリスト養成講座
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