見るだけ専門のTwitterで
たらればさんが
こんなことを呟かれていた
詩や短歌に感動してしまうのは、その文字列のうちのかなりの割合が「祈り」で出来ているからなんだなぁ…
ふむ。
これ、なんだかとてもよくわかる(ような気がする)。
凝縮された文字数のなかに、
そこに至るまでの時空があって。
短歌なぞとくに、31文字に余韻まで込められている。わたしにはできない芸当だ。
はて、いったい何が「祈り」を感じさせるのだろうか。
先日、観に行ったあいちトリエンナーレで
わたしがもっとも印象に残ったのが
《ラストワーズ/タイプトレース》2019
creation by dividual inc.
誰か知らない人たちが10分間の遺言を書くプロセスを記録し再生する、タイプトレースがモニターに映し出されている。
ー制限時間は10分。あなたが大切な人に向けて「最後に」紡ぐであろう言葉ー
誰か知らない人のタイプトレースに
目が止まる。
母親へ向けたと思われるそれは
あなたが大嫌いだったと言う
憎しみの言葉ではじまり
書いては消し
書いては消しを繰り返して
最後には
ほんとは大好きだったのかな
と、
愛の言葉で終わる。
感情は表裏だと分かったようなことは言いたくないけれど。
ただ、ただ、
「誰か」に「どうしても」伝えたいと思った気持ちが、そこにある。
言葉にする瞬間までに
その人の過ごしてきた時間がある。
数多の感情がある。
それが祈りの成分なのではないかと思う。
大切な人へ紡ぐのだもの
本当に伝えたいこと、わたしは知ってるのかな。
わたしは「生きているいま」、大切な人に伝えられているのかな。
今度会ったら、
カッコつけずに伝えてみよう。
伝えられなかったと、後悔する前に。
感じて、考えて、言葉にして、伝えて。
きっとあなたの言葉を待っている人がいる。
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