当事者とただ訪れた人には
隔たりというか、境界のようなものがある。
極端なことを言えば、
山と海に囲まれた小さな田舎町で育った者と
ビルの喧騒と光の中で過ごした者では、
一見、ある“境界”があるなと思うことがある。
祖母がいたこともあって時折訪れる東京は、
ワクワクするのと同時になんとなく怖いものだった。
大人になった今、ステキなお店も行きたい美術館も会いたい人も泊まりたいホテルも
たくさんあって、しばし訪れるものの。
わたしはそこでは訪問者にしか、なれない。
空の狭さに心もとなくなってしまうのである。
逆を言えば、
都会で育った人には、わたしの育った田舎町は何もなさすぎて、
どうやって毎日暮らしていくのだ?と思う人もいるのだと思う。
どちらがどう、とかの話ではなくて。
ベネッセの福武さんと塩田千春さんの対談記事を読んだ。
塩田さんの豊島にある作品「遠い記憶」を作るにあたって、
二人の出会いから今に至るまでの話をされているのだけれど。
当初は今の形とはまったく異なる展示を考えていた塩田さん。
福武さんに、
「故郷に産業廃棄物を棄てられた豊島の人々の苦しみや悲しみがわかるのか?今すぐ見に行け!」と
もの凄い剣幕で怒られたそうである。
塩田さんは、どうやって制作していこうかと、スタッフに聞いたところ、
「とにかく島の人たちと挨拶をしてください。そして島の人はとても親切ですが、何かをしてもらった時にはお金で返さず、何がその人にとっていいのかを自分で考えて返してください」と
言われたそうな。
それはわたしが旅をする都度、現地の方に言われる言葉と同じものを纏っているように思う。
そんなことがあって、
瀬戸内の島々から集められた「窓」で
《遠い記憶》はできている。
わたしは恥ずかしながら、豊島の産業廃棄物の不法投棄の問題を
高松で乗ったタクシーの運転手さんから聞くまで、知らなかったのだけれど。
このような都会と田舎の乖離はしばし起こる。
わたしを育んでくれた実家の山や海は、
どこからか訪れた人たちには格好のゴミ捨て場なのである。
本当の“ゴミ”のこともあれば、捨てていった人たちの家族であったであろう、
犬や猫もいる。
このことを、対談記事を読んで思い出した。
そこにある必要があるものを生みだす時、
生むと言うよりも、なんと言うか、
何かを編んでいくと言うか…
作品とその場がたくさんの糸で繋がっていくと言うのか…
そこで繋がらなかった、馴染まなかったものは、
完成はすれども廃れていくのでしょう。
それは、どこか別の場所で派生して、誰かが田舎に持ち込むものすべてに言えるのかもしれない。
お店でも、ホテルでも、人ですら。
島に、島の人に繋がった塩田さんの作品は、
まるで昔からそこにあったような、
豊島そのもののような空気を纏っている。
瀬戸内国際芸術祭がきっかけで出会い、
ここで結婚式を挙げた方もいるそうだ。
完成してから10年。
トンネルの先には、豊島の棚田。
窓からは、この地で暮らしてきた人の家々。
今年の秋、作品は解体される。
塩田さんは、島の人たちは、その時何を思うのだろう。
《記憶》を“作る”
人は、それぞれ当たり前だが、違う。
その違いを越えて、普遍的に人が持っているものがあるのだと思う。
どこで育とうとも、どんな人生を歩もうとも、どんな宗教を持っていようとも、どんな肌の色をしていようとも、どんな言葉を話そうとも。
思うことは違えど、
沸き起こる感情のようなもの。
魂が震えるのは、そこにある、言語以外の何かだ。
そこには“訪問者”も“住人”もない。
ただの“ヒト”として向き合わされる。
だからこそ、そこにあるべくしてあるアートは、アーティストは、境界を超えていけるのだと思う。
今年の秋、瀬戸内国際芸術祭終了後に
《遠い記憶》は解体される。
また、新たな《記憶》をテーマに作品が作られるそうだ。
塩田千春+田根剛
この宇宙は一体どういうものか。そもそもどうやって誕生したのか。
そこに私たちの脳や意識や感情がどうやって生まれてきたのかを問いかける入口にしたい。
豊島の風景のなかに突如として現れたどこかへと続く穴。
そしてその先にはその場所でしか出会えない、遠い記憶まで連れていくような深い世界を想像する。
建築とアートと豊島の自然それぞれが一体となるような、ここにしかない、まだ誰も見たこともない、2人に共通する「記憶」をテーマにした作品を甲生の地に制作する。
2019年の瀬戸内芸術祭では、本プロジェクトのコンセプト模型を展示し、完成は2022年を予定。
わたしはまた、《記憶》に会いにいくのでしょう。
大切な人たちと過ごす、
それまでの愛しい時間を道連れに。
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