浪漫への誘い浪漫への誘いあなたはロマンチストですか?と、聞かれて、手をあげる人はいったい、どれくらいいるのでしょうか?では、あなたはどんな生き方をしたいですか?と問われたら、答えられる人はいったいどれくらいいるのでしょうか?ロマンチスト① ロマンチシズムを主張する人々。浪漫主義者。② ロマンチックな人。空想家。夢想家。ロマン感情的、理想的に物事をとらえること。夢や冒険などへの強いあこがれをもつこと。「ロマン」と「生き方」と夢と現みたいかもしれませんが、わたしは、きっても切れないものに思えます。わたしなんぞは、カルガモ親子のニュースでもぽろぽろくらいは泣けてしまうのだけれども…例えば、映画やドラマや小説やニュースや音楽を観たり聴いたり読んだりして...27Aug2018つれづれつなげる日々の音
ジョナサンと呼ばれたわたしそう言えば、高校生のころに夏休みの宿題で書いた読書感想文が、全国コンクールへ出すために校内で選ばれたことがある。読んだのは「カモメのジョナサン」なぜそれを選んだのかは、ちっとも覚えていないのだが。 おそらく母に勧められたのだろう。母は若い頃、神田の出版社でタイピストをしていて、小学生のわたしに、サガンやブラームスやジェーンエアを読みなさいと、自分の本をくれるような人。20Aug2018つれづれ日々の音
はじめて、をはじめてみる少し前に一眼レフカメラを買って、文字だけの説明書なんか苦手なわたしは、ひたすら撮っている。鞄に入れて、持ち歩いて、何とは無しに撮る、撮る、撮る。15年ぶりに、英会話を習いはじめた。久しぶりすぎて、日常から英語が消えたこともあって、ほんとに初心者のレベルからやり直しをしている。そして、ひたすら聞く、話す、作る。聞く、話す、作る。の、繰り返し。カメラも英会話も、ちっとも上達しないとは言え、この「格闘」している感じがよい。どうにもできない、ひたすらやるしかない、この感覚がよい。どうも、年を重ねると、色んなことに慣れっこになってしまう。経験を積むこと自体はよいのだが、一旦慣れてしまうと、気がつかないうちに、感覚を置き去りにしていたりする。そ...16Aug2018つれづれ日々の音
水滴のような感情の断片余韻からはじまるもの①鐘などを鳴らしたとき,音の消えたあとまで残るひびき。余音。 「 -が残る」②事が終わったあとに残る風情。 「 -を味わう」 「 -にひたる」③詩文などで言外に感じさせる趣や情緒。余情。 「 -をもたせた表現」ー三省堂 大辞林ー世の中の時間の流れは、どんどんと早くなっていく。右へ左へ、上から下へ、内から外へ、ありとあらゆる情報に溺れるくらいだ。出来事が次から次へと流れていく中にあって、余韻を食べることは幸せなことだ。大切な人と向き合いながら、ゆっくりと時間をかけて、丁寧に作られた空間ごと、食べる。04Aug2018つれづれ日々の音