「どうせ…」は「どう生きるか」に続く、という話人生のもっとも苦い瞬間へ旅することそこに甘さを見出すなぜなら甘さはあなたが願いさえすればどこにでも見つかるものだから。日々生きていれば、「どうせ〜」という諦めの言葉、感情、場面に出会う。対象は部下に、上司に、会社に、親に、子供に、パートナーに、そして自分自身に…様々で。諦めようが諦めなかろうが、なんとか折り合いをつけて、「どうせ」の対象と付き合い続けると。「あーもうこういうのは嫌だ」「こんな思いしたくない」「この人イヤ、この環境イヤ」「こんな自分がイヤ」なんて気持ちになったりする。年や経験を重ねたり、セミナーやセッションを受けたり、して、「どうせ」を手放してうまくいくようになることもある。それでも、いつの時代から引きずっているのか?...29Sep2023つなげる日々の音
ファンキーでグルーヴィーな気分でヨルダンのホテルにて遊牧民族に憧れがある。(小学校の国語の教科書に載っていた『スーホーの白い馬』が大好きだ)本を読みはじめると没頭しすぎてしまうので、途中で降りなきゃいけない電車に乗る時は短編集とかエッセイにしている。『旅ドロップ』江國香織著この中の「平安時代の旅」という文章の、平安時代の人々の旅の仕方に触れられているところ。___いい景色を眺める、ということへの彼らの憧憬と情熱と偏愛ぶりは、ただごとではない。(中略)日常生活のなかでも、何より景色に心をふるわせ、桜が散ってしまっただけで大泣きしたりする。刹那的な人々なのだ、シュールなまでに“いま”を生きている。(中略)おもしろいのは、家や土地やお墓には執着を持たなかった...10Sep2023つれづれ日々の音