一度は聞いたことがあるであろう
「侘び寂び」
それを端的に説明することは可能なのでしょうか。
レナード・コーエン著「わびさびを読み解く」には、
「わびさびは、不完全で、はかなく未完成のものが織りなす美」
「宇宙は消滅する一方で生成もする。新しいものは無から生じる」
「無は可能性に満ち溢れている」
・万物は、無常である
・万物は、不完全である
・万物は、未完成である
わびさびものは、時の流れを映し出す。
と、あります。
侘び寂びものは、退色、錆、変色、ひび割れなどが時間の流れを記録し、
引っ掻き傷や、へこみなどが使った人の履歴を語っている。
さらにコーエンは、侘び寂びを説明するのに、
モダニズムと比較しています。
モダニズム わびさび
・論理的、合理的 ・直感の世界
・大量生産 ・一点もの
・未来志向 ・即今志向
・テクノロジーを美化 ・自然を美化
・人工素材 ・天然素材
・鋭く正確で一定 ・ソフトで曖昧
・行き届いた管理 ・劣化や消耗を受け入れる
・恒久的 ・あらゆるものに季節感がある
こうしてみると、
どちらが良い悪いではなく、
どちらも必要に思える。
このどちらをも自由に行き来することが、
現代に生きる人々に求められているのではないかしらん。
言わば、計測可能な外側の世界と、
曖昧な余白のある内側の世界。
それはまるで、
「わたし」と「ひと」の入り交じる宇宙のよう。
時に置き去りにされがちな、
「わたし」や「直感」という内側の宇宙。
大抵の場合において優先されがちな、
「社会」や「論理」という外側の宇宙。
世の中が経済的に豊かになればなるほど、
「侘び寂び」の世界は、ごく一部のヒトのもの、
特別なものになってしまったのでは…。
ほんの少し前まで、それは生活の中の「美」だったはずなのに。
柔らかく曖昧な、それでも、そこにある凛とした静謐な空気。
その余白には、曖昧さを残すという緻密さまで漂う。
ひとが自分である、
自分自身であり続ける。
ことを、表現した宇宙。
余分なものを削ぎ落とし、研ぎ澄ませ、
わたしという宇宙を創造していく。
そうして創造したわたしは、
外側の世界と調和し繋がっていく。
そこには、どんな生き方も自身の手で選択できるという、
わたしの生き方が存在する。
複雑なように見える自分も、
実は、ひとつの「矜持」を軸に、それを表現するために、歩み続けているのでは?
侘び寂びは時の移ろいを映しだす。
時を経ることによって手に入れた、
あなた自身そのもの。
いにしえから、現代まで、
人は迷いながらも揺れながらも、
今あるあなたを生きること、
すでにある自分を磨き上げることに、
歩み続けているのだと。
時代を越えて息づくこころの中の「侘び寂び」をトランクに入れて。
Points of You®フォトカードを使って
侘び寂びを見つめるワークショップを京都の素敵な場所で開催します。
秋のひとときをご一緒しませんか?
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