わたしの真ん中には音がない


わたしは“言語化”ということに、
多少の苦手意識を持っていて。


ここのところ、
そんなことを考えていたのだけれど。


苦手というよりも、
「誰かに何かを伝える言葉」を
持たないのかもしれない。


などと思う。


こうして、今も書いてはいるものの。


「誰にも伝わらないかもしれない」

と思いながら書いている。


「誰かに何かを伝えよう」として、

わたしの言葉が「誰かの聞きたいこと」に
いつのまにか、すり替わり

書きたいと思った言葉に宿る枝葉が
もげていってしまうのが怖いのだ。


わたし自体には「音がない」



わたしと言う入れ物に、
色んな音がこだまするだけだ。


空の音、風の音、猫の声、
薄いガラスに氷を入れる音、
本をめくる音、
遠くで鳴っていたと思ったらあっという間に目の前に落ちる雷


誰かの醸す声にならない音。


この世に存在するものには音がする。
言葉を持たないものにも。


その儚い薄っすらとした膜のようなものを
言葉という音にしたいのだ。


正しく気持ちを伝えて、相手に共感してもらうのではなくて、互いが、まったく違う人間であること、伝わりっこない部分を互いに持っていることを、そのまんまで当たり前に受け止められる言葉が、書けたらいいなと思います。
ー最果タヒー


わたしは、テレビはほとんど見ないし、
週刊誌などの類いも読まないので、
流行りの芸能人をほぼ知らない。


目の前にいない人に、どっぷりハマるということがないので、

「好きな芸能人は誰か?」という質問には、

いつもとても困るので、できれば聞かないで欲しいのだけれど…



時おり、特定の作家さんの音に
ぎゅーっと捉えられてしまう。


ここのところ、
最果タヒさんに溺れているのだけれど。


最果さんの言葉は、わたしをあっという間に
ジェットコースター並みに、蓋をした穴へ落とすのだ。


堪えていたもの、忘れようとしていたもの
 

それでも
会いたくて会いたくて
仕方がなかったもの


そんな魑魅魍魎の中へ
いつのまにか
引き摺り込まれている。




わたしが好きになる作家の書く言葉は
色がない。



いや、ないと言うのか、あると言うのか。


彼らの言葉に触れるうちに
書かれていることの理解はどうでもよくなって


くっきりと感情だけが浮かび上がる。


それは読んでいる。というより
好んで孤独になる。というような


そんな印象を残す作家が好きだ。


書くということ、
表現をするということは、
時に孤独なものだ。


わたしはその孤独という色を封印したような言葉に
惹かれるのかもしれない。


その孤独に向き合った先にある、
「見たい人が見たいように感じる膜」
を纏った世界を


わたしだけの言葉にしていきたいと思っているのだと思う。

日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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