出会いについて思うこと -Encounter-


手の中に収まる画面の中で
いつだって、世界中の昨日まで知らなかった誰かと
簡単に繋がることができる時代に。


中東を旅した際に訪れたイスラエル博物館で、
最も強く印象に残っているのが、「I to Eye」というタイトルのつけられた「出会い」についてのエキシビション。


『I to Eye』
私たちは毎日、家族、友人、訪問者、見知らぬ人と出会います。私たちの生活の中で、私たちの社会的なサークルは拡大し続けています。


最新のテクノロジーにより、私たちはこれまで以上につながりを感じるようになり、スクリーンを通していつでも無限の友人と「出会う」ことができ、私たちは決して孤独ではないように感じることができます。


『これは本当ですか?』


ネットが繋がれば世界中のどこにいたって、
世界中の誰かと容易に知り合うことができる。


至極、便利なことである。
わたしも日々、その恩恵にあずかっている。


ただ、やはりこうも思う。
対面での出会いが作るものがある、と。


出会いはたいてい、
丁寧な“言葉”からはじまる。


条件反射のように。
顔を合わせても、SNSでも。
(むしろSNSは言葉がほとんど、だ)


『元気ですか?調子はどう?』
『はい、元気です。あなたはどう?』


それでも、私たちの“顔”は
言葉よりも多くの答えを明らかにすることがあります。


眉の動き、頬の緩み、または大きく開いた目。
もしくは、その醸し出す空気のようなもの。


幸せですか?悲しい?びっくりした?
本当の気持ちを見せている?
それともふりをしている?


わたしたちはそれを、
どのように解釈しているのでしょう。


はて、今日わたしは
目の前にいる人の顔を、
ちゃんと見ていたのでしょうか?


よく知っていると思っている私たちの家族や友人。


それでも日常の中で
時に、彼らの驚くべき側面を発見し
感情を揺さぶられたりします。


今日、家族ですら、デバイスによって会話は中断され、ショートカットされたりする。


この絶え間ない可用性は即座の応答を必要とし、
不完全な会話のストリームを作成し、
考える時間はほとんどないように思えます。


それが今日の私たちの現実であるとしたら、
コミュニケーションは近い未来に
どのようなものになるでしょう?


私たちがどこかへ移動するとき、
路上で、バスや電車に乗っている間、
多くの偶然の出会いが起こります。


ところが私たちはお互いにすみやかに通り過ぎ、
忙しすぎてお互いを見ることはありません。


満員の地下鉄の箱の中で、目の前の数多の人の存在に気がつかず、

デバイスの向こうの見知らぬ人に“いいね”をしている。



テクノロジーでの出会いの利便性や非現実感が
目の前にいる人との偶然の対面の出会いにまで
侵食している。


そんな気がしてなりません。


目を合わせ、顔を合わせたら、
その“出会い”はどうなるでしょう?


1人の人の中には、宇宙に匹敵するくらいの世界が広がっている。


もしかすると、
そんなことに気がつくかもしれません。


日々の音

大人のための絵のない絵本。 日常と非日常のはざまにあるふとした瞬間を音にする。 心を奏でていくと、世界はこんなにも美しくやさしい。 大人のあなたへ、ココロにまばたきをお届けします。

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