ファンキーでグルーヴィーな気分でヨルダンのホテルにて遊牧民族に憧れがある。(小学校の国語の教科書に載っていた『スーホーの白い馬』が大好きだ)本を読みはじめると没頭しすぎてしまうので、途中で降りなきゃいけない電車に乗る時は短編集とかエッセイにしている。『旅ドロップ』江國香織著この中の「平安時代の旅」という文章の、平安時代の人々の旅の仕方に触れられているところ。___いい景色を眺める、ということへの彼らの憧憬と情熱と偏愛ぶりは、ただごとではない。(中略)日常生活のなかでも、何より景色に心をふるわせ、桜が散ってしまっただけで大泣きしたりする。刹那的な人々なのだ、シュールなまでに“いま”を生きている。(中略)おもしろいのは、家や土地やお墓には執着を持たなかった...10Sep2023つれづれ日々の音
すべて何十億分の一の水玉なのです。多様性についてずいぶんと言葉としては浸透してきた“多様性”ですが、実際にはどれくらいの人々の中に、日常の中に、溶け込んでいるのでしょうか。もしかすると、多様性(diversity)あるいは包摂(inclusion)が、都合よく「何でも良し、何でもアリ」という風潮に使われて、辟易している方もいるかもしれません。“多様性”を謳う人が、自分の価値観以外をなかなか受け入れられずにいる場面にも時折、出会います。「皆が良いと言っているから」「すごい人が良いと言っているから」と流されていると本質を見抜けずに翻弄されて、自分の心が見えなくなります。そして、多様なようでいて、実はAかBか、正か悪か、の選択肢しかないような情報たちに、本質を見抜くことが...30Aug2023つれづれ日々の音
愛しき手と別れと『西の魔女が死んだ』という小説がある。読んでいないので、詳しいところはわからない。けれども、きっと祖母のことだろうとなんとなく見てとれる。共働きの父母に代わり、私は祖母に育てられた。確かに祖母は、魔女のようで。どうやっても見つからない探し物も、祖母が探すとあっという間に見つけてしまうし、その手から魔法のように、なんでも作ってくれた。祖母の作るもので特に好きだったのは、素朴なパンで。小麦粉とイーストに艶出しの卵液がうっすらと塗られただけのラグビーボールみたいな形をした、薪とダッチオーブンで焼いた素朴なパン。実家を出てからも祖母のパンを食べたくて、帰ることもあったくらいに好きだった。02Jun2023つれづれ日々の音
自己満足と正義と矜持のはざまに正しさとは一体何であろうか。人は人に勝手に期待して、勝手に失望する。世間には常に「世界が自分たちに都合のいいものであってほしい」という大衆の欲望が渦巻いている。誰しもが自分の正義を持っていて、この世で暮らしているように見え。朝の混雑する電車から、人を押しのけてもわれ先にと降りようとしたり(お急ぎなのね…)、団子のように固まって出入口をふさいでいる子どもたち(一瞬たりとも友達と離れたくないのかしらん…)。もはや、あの頑なさは正義だ。そんなこんなで、子どもですら「自分の正義」で生きている。23Apr2023つれづれ日々の音
引き継がれる価値だけ残されていく変わること、変わらないこと。気がつけば、立春も過ぎ新しい年も二月を迎えた。少し前まで、普段は行かれない長旅に出ていたのだけれど、ここ数年は実家で年越しをしている。田舎の年越しの準備をして、父とたわいもない会話をし、母と三度の食事の用意をするのも、ようやくこの歳になって好ましく思う。「変わること、変わらないこと」は、実家の炬燵の上に置いてあった冊子の1月のテーマで、父が寄稿した文章も載っていた。元編集者の父の書く文章は、子どもの頃から見慣れたものだけれど、彼がどう考え、どう生きているのか、を多少伺い知ることができる。(ついでに言うと父の字も書いたものも、好きだ)05Feb2023つれづれ日々の音
クリスマスは、立ち止まり、自分の周りにある大切なものについてじっくり考える機会をくれる。Christmas gives us the opportunity to pause and reflect on the important things around us – a time when we can look back on the year that has passed and prepare for the year ahead.-David Cameronクリスマスは、立ち止まり、自分の周りにある大切なものについてじっくり考える機会をくれる。それは、過ぎ去った1年を振り返り、翌年の備えをするための時。−デーヴィッド・キャメロン25Dec2022つれづれ日々の音
いつの日か記憶から抜け落ちようともよく言って一般的な、いやあまりよくない方であろうわたしの「記憶する」という能力では、この旅の記憶もたとえ覚えていたいと願っていても端から次々とどこかへいってしまう。ともすれば、いまほどまでに見ていた時計の時間すらあいまいで、いまは今日は何日で何曜日なのかもわからない。まだ日常の中にいて、「約束」(仕事とか誰かに会うとか)があれば、そこにとどまることができるのだけれども、旅に出てしまうと飛行機とかに乗らないかぎり、カレンダーは意味をなさなくなる。けれども、身体の隅々に沁み込んだ印象は、こぼれ落ちた記憶とは裏腹に、日常に帰ったとき、ふと顔を覗かせる。朝、歯磨き粉を歯ブラシに出しているときに。昼、午睡から目覚めまどろんでいるときに。夜、手...16Dec2022つれづれ日々の音
旅に出るのはなにゆえか。旅に出るのはなにゆえか。一歩一歩、足の裏の感覚を感じながら歩く。ひとつひとつ、放ちながら歩く。刻々と刻む時間はいつしか忘れ去られ、いまここにあるものにのみ存在する。ひとつひとつ。こうしてみると、世界は知らないことばかりで。空の色がこんなにおしゃべりだなんてわたしは忘れていた。少しのあいだ、目を閉じているうちにあんなにも青く明るかった空に月が浮かび、ピンク色に染まりはじめ、気がついた頃には、星が瞬きはじめる。そこらを飛び跳ねているのは、ハミングバードなんてかわいい名前のついた、紛れもなくハチドリで。力強い羽音はまさに蜂そのもの。これでもかっていうくらいに、羽根を震わせて花から花へとその嘴を寄せる。わたしは物語の中と外をいったりきたり。...16Dec2022つれづれ日々の音
旅に出たい、ここではないどこかへ。南米ペルーの旅に寄せて旅に出たい、ここではないどこかへ。人は何のために旅に出るのか?旅の魅力が日常から離れることだとすると、たとえいっときであれ、一切を失った自身に残されているのは、自分自身と鞄の中身のみで。旅では、記憶や知識や体力や社交性といった目に見えないものを含めた、手持ちのものだけがその人を支えてくれる。誰しもが経験あるだろう(と思われる)、ふいに自分がどこにも属していないように感じられ、寄る辺がなく子供じみた感情におそわれほんの少し感傷的になる。それでも、丸裸のわたし自身にただ付き合う。そのことが、わたしには好ましく必要で。それを確かめるために、わたしは旅に出るのかもしれない。14Dec2022つれづれ日々の音
逃げるが勝ちよ少し前に5年ほど勤めていた会社を辞めました。理由は色々ありますが、高圧的なパワハラ上司に対応することに疲れてしまった。ということが大きい。どんな人だったかというと、ここに出てくる特徴すべて+アルファ。(で、わたし以外にも何人か辞めていっている)このようなハラスメントなどに合った場合、声を上げることが、情けなかったり恥ずかしかったり怖かったりして、声を上げないまま終わらせてしまうことも、あるように思う。思い出すのも嫌な自分の被害に向き合うことは怖い。たとえ声を上げたとしても、何の対処もされないこともざらにある。こちらに非があるように言われてしまうこともある。それはおかしい。いじめやDV、様々なハラスメント。本当は「恥ずかしさ」を感じな...31Oct2022つれづれ日々の音
プロフェッショナルの流儀少し前のこと、おじが死んだ。彼は、ほんとにどうしようもない放蕩者で、頑固で、わがままだった。親戚中に迷惑をかけ、その度合いは、あまり付き合いのないわたしも引くくらいで、子ども心に、大人になるとこんな人と付き合っていかなきゃいけないんだろうか、、、と、憂鬱になるくらい。そんな、どうしようもない人だったのだけれど。彼は中華の出張料理人で(まあ放蕩料理人の方がしっくりくる)、彼の作る料理はなんとも美味いのだ。ピータンもフカヒレも燕の巣も、炒飯も青菜炒めもスープも中華ちまきも、彼の作るご飯は、家庭料理から本格的なものまで、なんでも美味しかった。遊びに行くと、彼は10才の子どもに食べさせるために食材探しに行き、母や祖母には絶対に手伝わせず、飾...21Jul2022つれづれ日々の音