わたしはこの手にあるリンゴをどうするのか少し前に、映画『関心領域 The Zone of Interest』をみた。人は、自分自身の関心を持つ範囲の中で生きている。関心のないことは、たとえ目の前に置かれていたとしても気がつかないものである。映画『関心領域 The Zone of Interest』は、「Zone of Interest」というエリアに住みながらも、同じエリアの中で起こっていることに、無関心にいる人の話だ。無関心にいる、と書いたけれども、気がつかないふりをしているのかもしれないし、気がついていないふりをしていることすら、隠しているのかもしれない。07Sep2024つれづれ日々の音
金継ぎとレジリエンスご存知の方も多くいるかと思うけど、金継ぎというのは、日本の伝統的な陶磁器の修理法。割れたり欠けたりした陶磁器を漆で接着して、継ぎ目に金や白金などの粉を蒔(ま)いて飾る。20代の頃から使っていたお気に入りの猪飼護さんの器を何年か前に欠いてしまって。欠いてしまった時は、「金継ぎ」を知ってはいたものの、なぜか自分の器とは結びつかずにそのままに。ある時に参加した「KINTSUGI」のワークショップ。こちらは、器への金継ぎではなく自分自身の人生に施す哲学的な方。これをきっかけに、“自分の壊れている、難しい、辛い部分を、光や金や美しさを照らす部分として見る”ことは、誰でも選択できる”ことを深く考えることに。ようやく自分自身の気持ちのKINTSU...02May2024つなげる日々の音
観察するとは、自分自身を体験すること桜の便りを心待ちにしている頃、“観察する”ということをつらつらと考えていたところに、「The Art and Science of Observation(観察の術と科学)」というテーマで、Points of You®のワークショップがあったので参加。ファシリテートするのは、ポーランドのリードマスターJulija。彼女の作る、淡い幻想と濃密なリアルさが混在する世界に、ただ聞いているだけであっという間に惹き込まれる。オンラインでは伝わりにくいとされている、触覚すら手に取るようにそこにあるように感じるのは、彼女のプレゼンスの力だろうか。11Apr2024POINTS OF YOU®︎つなげる日々の音
たゆたえども沈まずFluctuat nec mergiturたゆたえども沈まず昨年は、私の人生の中で最も困難な年の一つでした。全てのものが絶妙なバランスで存在しているのだと思い知る日々。生と死。痛みと喜び。塩と砂糖。私とあなた。ずいぶんとひどく傷ついていることにも気がつかず、ようやくバランスを取り戻すのに必死になった頃にはすっかり秋の気配がしていて、それでもよく生きた年だった。2024年も、もう春だ。毎年作っているビジョンボードは、何だかこれまでとは様子が違う。どうやらわたしは脆さは正しい選択だと学んだらしい。柔らかいままでいることがとても難しい世界では、冷たくなるのはとても簡単だから。11Mar2024つれづれ日々の音
「やっぱり」の正体常々思うことがあるのだが、人は「答え」があると安心する生き物なんだと思う。〇〇診断だとか、血液型だとか、誕生日だとか、そう言うもので、「〇〇だから、△△して、□□なんだ」と当てはめて、当面のあいだ、先付けであれ後付けであれ、理由をつけて安心したり納得したりするのである。むしろ「答え」というより、「理由があると言うこと」に安心しているのかもしれない。29Feb2024つれづれ日々の音
対話の場、その覚悟。思うことがある。対話とは何だろうか?と。場を作れば作るほど、葛藤が起こる。これでよかったんだろうか。何ができたんだろうか。この場に何を持ち込めたんだろうか。対話の場に求められている、「心理的安心安全の場」というのがある。「この場では、どんなことを話しても大丈夫だ」という場。けれどもその安心感は、「どんな葛藤や痛みとも直面せずに済みそうだ」という安心感とは一線を画すように思う。24Jan2024POINTS OF YOU®︎つなげる日々の音
わたしはわたしであることを諦めない、という話大抵の人が毎日、誰かしらの話を聞き、話をしている。日常のたわいもない話から、相談事まで様々に。さて、話を聞くとして。知り合い同士、友人同士である場合、自分の価値観に沿って、つい、「ああしたらどう?こうしたらどう?」「わたしはこうしている」などと、(多分)つい良かれと思って、(きっと)親切心で言ってしまうことがあるのではないだろうか。ところが、他者からのアドバイスは、お門違いなアドバイスになってしまうことも多い。 今まで本人から色々聞いてきてるから…長い付き合いだから…相手のことを分かっているつもりでいたとしても、本人がそう考えるに至った事の次第を本人以上に分かるわけもなく。自分が置かれている状況や気持ちは、どれだけ言葉を尽...31Oct2023つなげる日々の音
「どうせ…」は「どう生きるか」に続く、という話人生のもっとも苦い瞬間へ旅することそこに甘さを見出すなぜなら甘さはあなたが願いさえすればどこにでも見つかるものだから。日々生きていれば、「どうせ〜」という諦めの言葉、感情、場面に出会う。対象は部下に、上司に、会社に、親に、子供に、パートナーに、そして自分自身に…様々で。諦めようが諦めなかろうが、なんとか折り合いをつけて、「どうせ」の対象と付き合い続けると。「あーもうこういうのは嫌だ」「こんな思いしたくない」「この人イヤ、この環境イヤ」「こんな自分がイヤ」なんて気持ちになったりする。年や経験を重ねたり、セミナーやセッションを受けたり、して、「どうせ」を手放してうまくいくようになることもある。それでも、いつの時代から引きずっているのか?...29Sep2023つなげる日々の音
ファンキーでグルーヴィーな気分でヨルダンのホテルにて遊牧民族に憧れがある。(小学校の国語の教科書に載っていた『スーホーの白い馬』が大好きだ)本を読みはじめると没頭しすぎてしまうので、途中で降りなきゃいけない電車に乗る時は短編集とかエッセイにしている。『旅ドロップ』江國香織著この中の「平安時代の旅」という文章の、平安時代の人々の旅の仕方に触れられているところ。___いい景色を眺める、ということへの彼らの憧憬と情熱と偏愛ぶりは、ただごとではない。(中略)日常生活のなかでも、何より景色に心をふるわせ、桜が散ってしまっただけで大泣きしたりする。刹那的な人々なのだ、シュールなまでに“いま”を生きている。(中略)おもしろいのは、家や土地やお墓には執着を持たなかった...10Sep2023つれづれ日々の音
すべて何十億分の一の水玉なのです。多様性についてずいぶんと言葉としては浸透してきた“多様性”ですが、実際にはどれくらいの人々の中に、日常の中に、溶け込んでいるのでしょうか。もしかすると、多様性(diversity)あるいは包摂(inclusion)が、都合よく「何でも良し、何でもアリ」という風潮に使われて、辟易している方もいるかもしれません。“多様性”を謳う人が、自分の価値観以外をなかなか受け入れられずにいる場面にも時折、出会います。「皆が良いと言っているから」「すごい人が良いと言っているから」と流されていると本質を見抜けずに翻弄されて、自分の心が見えなくなります。そして、多様なようでいて、実はAかBか、正か悪か、の選択肢しかないような情報たちに、本質を見抜くことが...30Aug2023つれづれ日々の音
愛しき手と別れと『西の魔女が死んだ』という小説がある。読んでいないので、詳しいところはわからない。けれども、きっと祖母のことだろうとなんとなく見てとれる。共働きの父母に代わり、私は祖母に育てられた。確かに祖母は、魔女のようで。どうやっても見つからない探し物も、祖母が探すとあっという間に見つけてしまうし、その手から魔法のように、なんでも作ってくれた。祖母の作るもので特に好きだったのは、素朴なパンで。小麦粉とイーストに艶出しの卵液がうっすらと塗られただけのラグビーボールみたいな形をした、薪とダッチオーブンで焼いた素朴なパン。実家を出てからも祖母のパンを食べたくて、帰ることもあったくらいに好きだった。02Jun2023つれづれ日々の音
自己満足と正義と矜持のはざまに正しさとは一体何であろうか。人は人に勝手に期待して、勝手に失望する。世間には常に「世界が自分たちに都合のいいものであってほしい」という大衆の欲望が渦巻いている。誰しもが自分の正義を持っていて、この世で暮らしているように見え。朝の混雑する電車から、人を押しのけてもわれ先にと降りようとしたり(お急ぎなのね…)、団子のように固まって出入口をふさいでいる子どもたち(一瞬たりとも友達と離れたくないのかしらん…)。もはや、あの頑なさは正義だ。そんなこんなで、子どもですら「自分の正義」で生きている。23Apr2023つれづれ日々の音